多邇具久(タニグク)|カエルにまつわる各地の伝承
ヒキガエルの神「多邇具久」の伝承とご利益・神社紹介多邇具久とは?出雲神話に登場する神さま。多邇具久は蟇蛙(ヒキガエル)のことで、「タニ」は谷、すなわちはざまのことであり「グク」は鳴く音を表しています。谷蟆ひきがえるは、地上のどこにでも生息しているため「国土の隅から隅まで知り尽くした存在」、または「地上を這い回る支配者」と考えられていました。日本各地にカエルにまつわる伝承は多く残る。タニグクの名称・神格・ご利益名称多邇具久多尓具久多邇具久命神格蛙神水神導神の神使ご利益交通安全祈雨害虫避けあなたの「金運」を強力に引き上げる祈祷師の護符神話に描かれるタニグク多邇具久は『古事記』に記されるヒキガエルの神様です。大国主が出雲の美保崎にいるとき、波の間に小さな神が乗った羅摩船かがみのふね(かがいものさやで作られた船)が近づいてくるのを見つけます。大国主は共の神に「何者か?」と尋ねますが誰もわかりませんでした。そこへ多邇具久が進み出て「きっと久延毘古なら知っていると思います」と答えます。早速、久延毘古を読んで聞いてみると「この神は神産巣日神の御子、少名毘古那神である」と答えます。多邇具久は久延毘古のもつ「知恵」を世の中に媒介する役目を担っていたのかもしれません。多邇具久が登場するのはこのシーンだけで、『日本書紀』の同じエピソード部分では登場しません。『万葉集』の山上憶良の長歌に「天雲の向伏極み 谷蟆のさ渡る極み」と謳われています。これは天皇の支配領域が天の雲の果てから地上のヒキガエルの歩いているところまですべてということを意味します。この歌には、大国主の「国づくり」に関わる谷蟆を引き合いに出すことで、天皇への地上の支配権の献上についてが念頭にあることが示されているのでしょう。カエルにまつわる神事や伝承諏訪大社の蛙狩神事出典:諏訪大社の蛙狩神事(諏訪大社と諏訪神社)長野県の諏訪大社には「諏訪大社七不思議」と呼ばれる行事・神事があり、その1つに「元朝の蛙狩り」というものがあります。歳旦祭の後、神職と諏訪大社大総代の一行は、宝殿と摂末社遙拝所で拝礼を済ませてから御手洗川へ向かい「蛙狩神事」を行います。一年の豊穣を願い本宮前の御手洗川で蛙を捕えるのですが、御手洗川の氷を割ると必ず2、3匹のカエルが現れるそうです。捕まえたカエルは神前で小弓を以て射通し、矢串のままお供えされます。この神事は平成27年まで公開されていましたが、平成28年以降は非公開となっているようです。蛙狩神事の本義については諸説ありますが、「諏訪明神の化身はヘビ」という認識で考えれば、ヘビの好物であるカエルを贄として供えるのは道理として合っているのでしょう。真冬でも捕獲が容易なカエルを贄として選んだというのも合理的なのかもしれません。小田原の蛙神にまつわる伝承出典:蛙石(wikipedia)多邇具久とは直接的に関係はありませんが、同じカエルつながりとして小田原の蛙石かわずいしがあります。小田原市山王に、もと小田原三稲荷の1つといわれた北条稲荷跡があり、ここの榎の大木の下に蛙石があります。『新編相模国風土記稿』小田原宿、古新宿北条稲荷のくだりに「末社、蛙石明神、北条氏康より寄附の石なり、形以て名く、後末社に勧請す」とあります。この石は400年以前、北条稲荷がこの地に建立された際に小田原城内の庭にあったものを移したものと伝えられますが、明治35年にこの地方を襲った大津波にもびくともしなかったとされます。その後、掘り出そうと試みられましたが、一丈あまり(3メートル以上)掘っても底部に達しなかったため、地下岩盤の露出部分ではないかと推測されています。北条氏が太閤秀吉に攻められ、小田原落城の際には、夜な夜なこの蛙石が鳴いたという伝説は有名です。また、江戸時代の二度の震災、大正の関東大震災、昭和の小田原大空襲の前夜も盛んに鳴いたとされ、小田原になにか異変が起こるときには、必ず蛙石が鳴きだして市民に難を知らせると言い伝えられています。これら地元の言い伝えから気象に関係がないように見えますが、蛙石の蛙は蛇と同様に雨をもたらす水神、または疫取りの神様として篤く信仰されてきました。北条稲荷社は稲の豊穣を司る神である伏見稲荷の末社でもあることから、小田原の蛙石も昔は祈雨の神として祀られたものではないかとも考えられます。無事にカエルに因むことから出典:二見興玉神社の手水舎(二見興玉神社)三重県伊勢市の二見興玉神社では猿田彦大神が祀られますが、カエルは大神の神使とされています。猿田彦大神は地上に降りた瓊瓊杵尊を道案内した神であり、道の神、導きの神として旅の安全を守護する神として信仰されます。その神使であるカエルは「無事に帰る」にも繋がることから、猿田彦大神の使いとなったと考えられます。また、東京都千代田区にある「将門の首塚」は、平安京で晒し首になった平将門の首が飛来した地とされます。この首塚の周りにはカエルの像が多く置かれていました。これは将門公の首が京都から「飛んで帰った」ことに因み、左遷などにあっても無事に元の会社に戻れるようにとの願いが込められて供えられたものとされます。また、行方不明者が「無事に帰ってくる」ようにと親族がカエルの像を納めたものもあるそうです。ちなみに、2021年の第6次目の改修整備以降は、一般参詣者の敷地内に供物、物品の寄進、お線香台の利用は禁止となっており、それまで奉納されていたカエルの像は撤去されています。多邇具久・カエルに縁のある神社美保神社境外(久具谷社)島根県松江市美保関町美保関608淡嶋神社 和歌山県和歌山市加太118二見興玉神社三重県伊勢市二見町江575玉置神社奈良県吉野郡十津川村玉置川1神倉神社熊野速玉大社摂社和歌山県新宮市神倉1-13-8諏訪大社(上社本宮)長野県諏訪市中洲宮山 1和歌山県新宮市附近ではヒキガエルを「ゴトビキ」と呼び、神武天皇の東征神話に描かれる「天磐盾あめのいわたて」が神倉神社の「ゴトビキ岩」であるといわれます。和歌山県和歌山市の淡嶋神社にある大国主社には、瓦蟇(ヒキガエルの土偶)が奉納される風習が残ります。島根県松江市の美保神社の境外には、久具谷社があり、國津荒魂神とともに多邇具久命が祀られています。三重県伊勢市の二見興玉神社は、猿田彦大神を祀るが、その神使がカエルであるとされています。カエルにまつわる伝承は各地に存在し、カエルが神聖視されていることがわかります。
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