秋葉山の神「秋葉大権現」秋葉大権現(六角堂能満院仏画粉本仏教図像聚成下巻より)出典:日本の神々辞典神格秋葉山の神神徳・ご利益家内安全厄除開運火災消除別称秋葉三尺坊大権現カグツチあなたの「金運」を強力に引き上げる祈祷師の護符秋葉大権現とは火伏せに霊験あらたかな神秋葉権現あきはごんげんは、遠江(現在の静岡県)に鎮座する秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神です。秋葉大権現と同一視され、秋葉山の守護神とされるのが、天狗の三尺坊さんじゃくぼうです。秋葉三尺坊大権現出典:佛心宗 福厳寺三尺坊は長野県水土内郡隠村に生まれたとされ、26歳には比叡山の千日回峰行を終えて大阿闍梨となり、蔵王権現堂十二坊のうちの第一である三尺坊に住持を務められました。その後、真言秘密不動三昧之法を修得され、人間七難八苦のうち、火難を救うべく身火心火の術と悟りに至ったとされています。神通不思議の妙力を得て、生身のまま天狗となって白狐にまたがり、飛行昇天したといわれています。全国を遍歴して教えを説きますが、最終的に今の静岡県春野町にある秋葉山に脚を留め、火防の力を持って人々の火難を救われたとされます。秋葉山本宮秋葉神社出典:ハローナビしずおか秋葉神社上社、本殿前からの眺望は、昔も今も東海一の絶景と称えられる景色です。秋葉大権現が祀られる静岡県西部・遠州地方の中心にそびえる秋葉山は、御神体の山にふさわしく山頂と山麓に社殿が構えられています。当社の草創年代は明らかになっていません。社伝によれば、和銅二年7(709年)が社殿開創の年となっていて、史料のうえでは『三代実録』貞観十六年の条に記された「岐陛保神(きへのほのかみ)ノ社」が当社に比定されていて、歴史上の初出と考えられます。「岐陛」は秋葉の古語で、「保神」は火の神を意味します。当社の祭神で、記紀神話に登場する火神カグツチは、記紀神話では母神イザナギをも焼き殺す負の力と、水や山の神々を次々と生み出す生の力の両面を体現します。カグツチの両義性は、焼畑農耕の信仰を背景にしたという説があります。もしそうだとすると、その信仰は水稲(すいとう)栽培以前の古い記憶にさかのぼるものといえそうです。しかし文明の発展は、火の力をあらわす神より火を防御する守護神を求める方向へ変わっていきます。とくに江戸時代、「あなたふと(なんて尊い)、秋葉の山にまし坐(ま)せる、この日の本の火防(ひふせ)ぎの神」(伝元正天皇御製)と称えられる秋葉大権現の神徳によって、当社は絶大な崇敬を集めることになります。秋葉神社といえば十二月に行われる「秋葉の火まつり」が有名です。その最大の見せ場である火の舞は、秋葉三尺坊が具現したという火伏せの能力を彷彿とさせます。秋葉参りできない人のための秋葉溝が全国に秋葉権現は火防の霊験で広く知られ、近世期に全国に分社が勧請され秋葉講と呼ばれる講社が結成されました。これは江戸時代の庶民にとって遠州秋葉参りの旅費は経済的負担が大きいことから、秋葉講という宗教的な互助組織(講)を結成して講金を積み立て、交代で選出された代参者が代表として遠州秋葉山に参詣し、火防せ・安全を祈願して帰郷するもの。また、遠州秋葉参りできない人々を考慮して、地元に秋葉権現を勧請する寺社も多く、その数は盛時には全国で3万余を数えるほどあったそうです。秋葉権現の由来や縁起について諸説ある遠州(遠江、現在の静岡県)秋葉山の古来からの土着神、山岳神同じく秋葉山に伝説を残す三尺坊という修験者の神格化(秋葉三尺坊権現)1と2の両者が渾然一体となったものかつては複数の寺社が本山を自称していましたが、秋葉三尺坊は火伏せ(火防)に効験あらたかであるということから、勧請を希望する寺院が方々から現れます。越後栃尾の秋葉三尺坊大権現の別当、常安寺はこれを許可します。これに怒ったもう一方の本山を主張する遠州秋葉寺は訴えを起こします。江戸時代に寺社奉行において裁きが行われ、結果秋葉権現は二大霊山とすることになります。現在では信仰を広めた遠州の秋葉山本宮秋葉神社を『今の根本』とし、行法成就の地である越後の秋葉三尺坊大権現は『古来の根本』となります。秋葉原の地名を生んだ神さま明治2年12月に相次いだ東京の大火の後に、明治政府が建立した鎮火社(霊的な火災予防施設)において、本来祀られていた神格を無視し民衆はこぞって秋葉権現を信仰します。その結果、周囲に置かれた延焼防止のための火除地が「秋葉ノ原」と呼ばれたことから、後に秋葉原という地名が誕生します。秋葉大権現を祀る寺社秋葉山本宮秋葉神社静岡県浜松市天竜区春野町領家328ー1秋葉総本殿可睡斎静岡県袋井市久能2915-1秋葉総本廟常安寺新潟県長岡市谷内2丁目7−7