八咫烏
『日本神話』に登場する導きの神。三本足の大きなカラスで太陽の化身とされる。東征神話では熊野で神武天皇を導き大和国平定に貢献。熊野信仰では熊野神の神使とされる。日本サッカー協会や自衛隊の情報部隊におけるシンボルマークとしても採用されています。名前の「咫」は長さの単位で、親指と中指を広げた長さ(約18cm)のことで、八咫は144cmですが、ここでいう八咫は「大きい」という意味で使われます。
出典:八咫烏に導かれる神武天皇(wikipedia)
『古事記』では高木大神(高御産巣日)、『日本書紀』では天照大御神が遣わせた記されます。八咫烏は『神武東征神話』にて神武天皇を導く先導神として登場します。
鳥は朝早く森から民家近くに飛来し、夕焼けの頃に森に帰っていくのは、太陽の日の出、日の入りに関係があり、太陽神とする天照大御神の使いが八咫烏というのもうなずけます。
神武天皇一行が熊野から奥地に進み、荒ぶる神々に苦戦をしている時、神武天皇の夢枕に天照大御神が現れ「天より八咫烏を遣わす。この鳥の先導によって軍を進めよ」と申されました。
その夢が正夢となり瑞兆(吉事の前兆)を悦ばれたとされます。そして八咫烏の導きにより大和国に入ったとされます。
八咫烏は、大和国宇陀の兄宇迦斯と弟宇迦斯の兄弟豪族に相対し、「今、天津神の御子行幸でませり。汝等仕へ奉らむや」と伝えます。これに兄宇迦斯は怒り鏑矢で射返しますが、弟宇迦斯は恐れ、葉盤八枚に食べ物を盛って烏に献上し帰順しを申し出て天皇の一行に加わります。
なお、『日本書紀』では、金鵄(金色のトビ)として、長髄彦との戦いで神武天皇を助けたともされ、天日鷲神の別名である天加奈止美命の名称が金鵄に通じることから、鴨建角身命と同一神とされる説があります。
『古語拾遺』では、この八咫烏は京都地方の大豪族であった賀茂県主の祖神で、下鴨神社、すなわち賀茂御祖神社の西殿の祭神である賀茂建角身命の化身したものであるとされる。
また、『山城国風土記』逸文には、八咫烏は神武天皇の先導神として仕え、のちに大和から山城の賀茂に移ったと記されます。賀茂系の神の使いとしての鳥の信仰が、神武天皇の東征神話のなかに挿入されたものと考えられます。
出典:八咫烏(熊野本宮大社)
『記紀』に八咫烏が出現した場所が、熊野の山中と書かれていることから、熊野三山信仰にある先導鳥である三本足の鳥とも大いに関係があったものと思われます。
カラスと熊野神の関係は古く、昔この地に熊野神が海の彼方から上陸した際に、一羽のカラスが現れて案内をしたという伝承があります。もしかしたらこれが『記紀神話』に描かれる八咫烏の起源になっているかもしれません。
熊野三山においてカラスは熊野神の神使とされており、八咫烏は熊野大神(素戔嗚尊)に仕える存在として信仰されます。
近世以前に起請文(誓約書)として使われていた熊野の牛玉宝印(熊野牛王符)には三本足のカラスが描かれています。
熊野牛王符は非常に神聖視され、武家の主従の誓いや、遊女と主人が交わす約束事などを書く誓紙として、また魔除けとしても使用されました。
この熊野牛王符で約束事を破ると、そのたびに熊野三山のカラスが一羽づつ死ぬと言われたそうです。
出典:三足烏(wikipedia)
八咫烏といえば「三本足」が有名ですが、『古事記』や『日本書紀』には八咫烏が三本足であるとは記されていません。
八咫烏を三本足とする最古の文献は、平安時代中期(931~938年)頃に編纂された『倭名類聚抄』で、この頃に八咫烏が中国や朝鮮の伝承の鳥「三足烏」と同一視されたことで、三本足になったと考えられます。
中国神話の三足烏は太陽に棲むといわれ、陰陽五行説に基づき、二は陰、三が陽であることから三本足の鳥は太陽を象徴するとされます。
中国では前漢時代(紀元前3世紀)から三足烏が書物に記され、王墓からの出土品にも描かれています。このように三足烏の伝承は古代中国の文化圏地域で多く見られます。
日本神話にある「神の使いとしての鳥」の信仰と、中国の「太陽の霊鳥」が融合したと考えられます。
出典:八咫烏(日本の神様読み解き辞典)
この八咫烏が三本足であることが何を意味するかについては諸説あります。
熊野本宮大社では、八咫烏の三本の足はそれぞれ「天(天神地祇)」・「地(自然環境)」・そして「人」を表し、神と自然と人が、同じ太陽から生まれた兄弟であることを示すという説。
古来より太陽を表す数が「三」とされてきたことに由来するとする見方は、宇佐神宮など太陽神に仕える日女(姫)神を祭る神社の神紋が、三つ巴であることと同じ意味を持っているとする説。
かつて熊野地方に勢力をもった熊野三党(榎本氏、宇井氏、藤白鈴木氏)の威を表す説があります。また、朝日、昼の光、夕日を表すともいわれ、今のところ三本足に関する理由は定まっていないようです。
出典:日本サッカー協会のシンボルマーク(日本サッカー協会)
日本サッカー協会(JFA)のシンボルとして八咫烏が描かれます。
これは第一回FIFAワールドカップが行われた1930年の翌年1931年(昭和6年)に「大日本蹴球協会旗章制定」の際、彫刻家の日名子実三がデザイン化したものです。
八咫烏を起用するに至った経緯は、日本サッカーの生みの親とされる「中村覚之助」氏にちなんだものとすることから始まります。
氏は和歌山県那智町の出身で、生まれたのは那智町浜ノ宮。熊野の浜ノ宮は、日本書紀や古事記に記される神武天皇東征の伝説の地です。
さらに熊野は、平安時代の蹴鞠の名人と呼ばれた藤原成通が技の奉納に訪れたとされ、熊野詣で蹴鞠上達を祈願し、熊野大神に「うしろまり」を披露して奉納したとされます。
現在でも、日本サッカー協会はワールドカップ等の出場前に熊野三山で必勝祈願を行っています。
八咫烏は導きの神さま。ボールをゴールに導くようにともかかっているのでしょう。そういった意味で日本サッカーのシンボルとして適していますね。
軍事方面においても、八咫烏は大日本帝国時代より金鵄や鷲等と共に広く用いられてきました。
現在でも八咫烏を部隊マークに使っているのは「中央情報隊」と「中部方面情報隊」、「第14偵察隊」です。
中央情報隊は、陸上自衛隊の部隊が作戦を実施する際に必要な作戦情報、偵察情報、地理情報などを一元化。中部方面情報隊は、伊丹駐屯地に隊本部が駐屯する情報科部隊です。
第14偵察隊は、香川県善通寺市に所在する、第14旅団の隷下部隊です。防衛警備、災害派遣を担任し、主となる任務は旅団長の決心に必要な情報の収集とされます。
いずれも情報収集部隊であり、空から地上を見通す八咫烏がしっくりきます。
白石神社 | 札幌市白石区本通14丁目北1番12号 |
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熊野那智神社 | 宮城県名取市高舘吉田字舘山8 |
五方山熊野神社 | 東京都葛飾区立石8-44-31 |
師岡熊野神社 | 神奈川県横浜市港北区師岡町1137 |
川越熊野神社 | 埼玉県川越市連雀町17-1 |
弓弦羽神社 | 兵庫県神戸市東灘区御影郡家2-9-27 |
八咫烏神社 | 奈良県宇陀市榛原高42 |
熊野速玉大社 | 和歌山県新宮市上本町1-1 |
熊野那智大社 | 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1 |
熊野本宮大社 | 和歌山県田辺市本宮町本宮1100 |
賀茂御祖神社(下鴨神社) | 京都府京都市左京区下鴨泉川町59 |
角宮神社 | 京都府長岡京市井ノ内南内畑35 |
八咫烏神社 | 広島県呉市宮原11-12-25 |
多鳩神社(高神神社) | 島根県江津市二宮町神主イ307 |
本宮神社 | 高知県高知市本宮町94 |
熊野神社 | 愛媛県四国中央市新宮町新宮483 |
八咫烏神社 | 熊本県熊本市東区16 |
その他熊野系神社など
鳥は人間の生活圏の中にしばしば出入りする動物の1つであり、鳥を山の神の使いと考える地方も多く、鳥喰神事、神社の鳥祭、正月の鳥呼びの行事など、鳥に関する祭事や行事は全国的に多いです。
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