塩椎神(しおつちのかみ)の姿と伝承|ご利益と神社紹介
塩椎神の描かれる姿と伝承。ご利益・神社紹介出典:塩椎神(Art Mochida Daisuke)塩椎神とは?シオツチノオジ神は宮城県の塩竈神社の祭神です。ここを本拠地としてその分霊を祀る神社が全国に広がっています。海の神、潮の神とされますが、神話の中で海幸彦や神武天皇に道を示すことから道標の神としても信仰されます。塩椎神の名称・神格・ご利益名称古事記塩椎神(しおつちのかみ)日本書紀塩土老翁(しおつちのおじ)塩筒老翁(しおつちのおじ)別称事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさ)塩土翁尊(しおつちのおきなのみこと)塩筒大神(しおつちのおおかみ)塩竈明神(しおつちみょうじん)神格海の神予言の神塩の神呪術の神導きの神ご利益開運招福海上安全延命寿命家内安全安産守護漁業守護農業守護製塩業守護あなたの「金運」を強力に引き上げる祈祷師の護符関連神親神伊邪那岐神(イザナギ)問題を解決する道しるべの神出典:塩土老翁「知多の山車館」神名のシオツチとは、潮の霊を意味する言葉で、海の神であることを表し、神名の「潮筒」は、潮路の神を意味します。船が安全に航海するためには、潮の流れや天候の変化などを知ることはとても重要です。古来から航海する人々は、人間には知ることができない海上における未知の情報をつかさどる海の神からの加護を願いました。こういった海神の力を神格化した姿がシオツチノオジ神と考えられます。「老翁(おじ)」とつくのは、おそらく人生経験豊富で物事を知り尽くした長老という意味が込められているのでしょう。皇祖神達を導いた道標の神神話で描かれるシオツチノオジ神は道標の役割をもっています。「海幸山幸」の話では、山幸彦が兄の海幸彦から借りた釣り針を失くし、海辺で悲観にくれているところに現れます。シオツチノオジ神は「釣り針を取り戻すよい工夫をしましょう」といって竹で編んだ小舟を作り、山幸彦を海へ送り出します。「そのまま進めば良い潮路に乗り海神の宮に着くから、宮の手前の木の上で待ちなさい。あとは海神が良いようにしてくれる」と告げます。船は自然によい潮路をたどって海神のすむ海宮にたどり着き、結果、失くした釣り針を取り戻します。山幸彦に海宮へ行く方法を教えるシオツチノオジ神は、海の神として航海案内人の役割を果たしていると考えられます。それだけではなく重要なのが、悩む山幸彦に「海宮へ行きなさい」と問題解決の道を指し示したことです。また、「神武東征」では、神武天皇が国の統治に適した場所を探している時に「東方に美き国あり」と伝え、45歳にして大和へ東征を決意させます。この場合のシオツチノオジ神は、未知の場所に関する予言的な情報を提供していることから予言の神としての性格も備えています。また、『日本書紀』一書では、事勝国勝神ことかつくにかつかみとして登場し、降臨した天孫ニニギ尊に「国ありや」と問われ、「国あり」と答えます。海幸彦、ニニギ尊、神武天皇はいずれも皇祖神。これら重要な神々を導く塩椎神はまさしく道標の神と言えるでしょう。塩の製造法を人々に伝えた神シオツチノオジ神(左)山幸彦(右)シオツチノオジ神を祀る総本宮である塩竈市の「鹽竈神社」の社伝によると、高天原から地上に降りたタケミカヅチ神とフツヌシ神が、シオツチノオジ神に先導されて諸国を平定したのちに、塩竈の地にやって来たとされます。一説には神々は海路を渡り、七ヶ浜町花渕浜からこの地に上陸されたと言われ、シオツチ神はシャチに乗って海路を渡ってきたともされます。タケミカヅチ命とフツヌシ命はそれぞれ帰りましたが、シオツチノオジ神だけはこの地にとどまり、漁業や煮塩の製造法を伝えたとされ、塩釜の地名の起こりともなったそうです。塩椎神が祀られている神社鹽竈神社宮城県塩竈市一森山1-1胡宮神社滋賀県犬上郡多賀町敏満寺49青島神社宮崎県宮崎市青島2-13-1益救神社鹿児島県熊毛郡屋久島町宮之浦277鹽竈神社の分霊を祀る神社は海辺に限らず内陸にも存在しますが、その場合は安産信仰の色合いが強いようです。また、全国の白鬚神社の祭神はサルタヒコとする例がほとんどですが、ヒゲの字に「髭」や「髯」ではなく「鬚」をあてる神社には、シオツチ神を祭神としている場合があります。
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