出羽三山(つるおか観光ナビ)
出羽山地の南端、標高1984mの月山を主峰とし、そこから北に稜線を描く山脈の先端に位置し、庄内平野に接する小山が羽黒山(436m)、月山の南西山腹に位置する火山が湯殿山(1500m)であり、これらを総称して出羽三山と呼びます。
出羽三山神社の社伝によると、開山は崇峻天皇の御子である蜂子皇子(能徐太子)とされます。
皇子は父の崇峻天皇が蘇我氏に弑逆された際に、難を逃れて出羽国に入ります。そこで三本足の霊鳥の導きによって羽黒山に登り、苦行の末に羽黒権現の示現を拝し、さらに月山・湯殿山も開いて三山の神を祀ったと伝えられます。
月山は太古より死霊の集まる山として崇められていました。8世紀の史料にはすでに月山神の名が見えており、仏教流入後は山頂に本地の阿弥陀仏が祀られます。
羽黒山は、もとは出羽の国魂神である伊氐波神(本地仏は聖観音)を祀る神域だったと伝わります。月山の里宮に位置づけられています。
湯殿山は温泉を湧出する巨岩を御神体とする秘所でした。中世以後は大日如来を本地とする出羽三山の奥の院とみなされるようになります。
これら三山を結びつけ、信仰の一大拠点として押し上げたのが、出羽修験(羽黒派修験道)でした。中世には西国の吉野・熊野に並ぶ威勢を誇り、やがて東国三十三か国の総鎮守として広範な信仰圏を確立し、近世には三山講の整備により、全国より多くの参詣者を集めました。
月山と湯殿山は冬季に登拝できないため、羽黒山には三神合祭殿が設けられ、山内に十八院、山外には三百六十坊を数える出羽修験の一大拠点が築かれました。
そこを根城とした山伏らは四季の峰入りなどを通じて擬死・再生をモチーフとしたさまざまな苦行をおこなったとされます。
彼らの原像は開祖の蜂子皇子です。尊像として伝わるその容貌は、目鼻が極端に大きく、口が耳元まで裂けているという異相。その人ならぬ姿は、里人に除災招福をもたらす修験者の呪力霊験を思わせるものだったのでしょう。
8月に行われる荒沢寺での秋の峰入りでは、南蛮燻しや自己の肉体を焼尽して生まれ変わる「柴燈護摩などの死と再生の修行は秘行として知られます。
出羽三山神社 | 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7 |
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