走湯権現は、静岡県熱海市の伊豆山(走湯山)の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神さまです。
千手観音・阿弥陀如来・如意輪観音を本地仏とします。
伊豆山神社境内の伊豆山郷土資料館に、「本宮走湯権現神体」と銘が刻まれている銅像があります。その像容が興味深く、立烏帽子、袍、指抜という古式の礼装の上に、袈裟を重ねた姿です。
いわば仏の衣を被った神像であり、この「御神体」は、神道と仏教が渾然一体となって信仰されていた時代があったという証拠となります。
創建の年代は確かではないものの、十世紀の延喜式神名帳に見える火牟須比命神社であったとされる。社伝によると、もとの宮居は熱海市の北西に位置する日金山にあったとされ、「火之峰」と呼ばれた日金山の火(火山)の神を祀る社でした。
そののち、東に下った地に位置する本宮山(摂社・本宮神社が鎮座)に移り、さらに下って現在の境内地に鎮まったとされている。なぜこの地だったのか。別の伝承では、甲斐国の修験者がこの走湯権現の夢告により、この地に本地仏である千手観音の俗体を祀ったと伝えています。
走湯権現の走湯とは、神社の境内から参道をまっすぐ下った海岸近くに現存する伊豆山温泉の源泉のことです。今も70℃近くお湯を毎分170L噴出し、そこから湧き出たお湯が海へと走るように流れ落ちる様から、その名がつけられたそうです。
今ある伊豆山神社は走湯の神との出会いによって始まり、それゆえ伊豆山の別名は走湯山と呼び、その神は走湯権現と称されます。
出会いと結び。これが走湯権現の御神徳とされます。伝承によれば、熱海の沖に浮かぶ初島の姫神は、対岸に立ち上がっている白い湯気を目指して海をわたり、伊豆山彦命と出会い結ばれ、この地の祖先を産んだとされます。
走湯の近くに逢初橋は二神が出会った場所といわれ、そこはまた源頼朝と政子が出会った場所といわれています。
また、神社境内にある御神木の梛の葉は、政子が鏡の下に忍ばせて頼朝の無事を祈ったといわれ、男女の縁結びに御利益があるとされます。
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