「石動権現」は能登国石動山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神さまで虚空蔵菩薩を本地仏とします。
神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、石動山天平寺から勧請されて全国の石動社で祀られました。
能登半島の基部、丘陵産地が広がるこの一帯にひときわ高い頂を結ぶ石動山(565m)。この山が霊山と崇められるようになるきっかけは次の縁起にあります。
「その昔、天の星が三つの石となり、三つの光跡を象り地に落ちた。あるいはこの石はみずから天の川(天漢)となって流れ下ったと聞く。ゆえに石動山という」
「伊須流岐比古神社縁起書」」より
別の古縁起には「万物の生命をつかさどる星が流れて落ち、この山に静まりて三千世界を護り給う」とあることから、石動山の名は、天から隕石と思しき石が落下し山が揺れ動いたという伝承に由来する。
伊須流岐比古神社の境内には、その証拠と思しき「動字石(天漢石)」も残されている。当社の創始についてはさまざま伝えられているが、その神域は、奈良時代、智徳上人が来山した勅使の前で虚空蔵求聞持頭巾の方を修し、石動の神霊がたちまち虚空蔵菩薩となって現れる奇瑞を見せて賜ったものという。
こうした神秘的な伝承の背景にたったのは、石動山を拠点とした真言宗系修験者の旺盛な活動でした。
彼らは難行苦行を求めて諸国を巡歴し、北信越を中心とした各地で験力を示し、石動山の分霊社を勧請していったという。彼ら「いするぎ山伏」が奉じた五社権現とは以下の通りである。
旧称 |
本地仏 |
|
---|---|---|
主神 | 大宮大権現 |
虚空蔵菩薩 |
相殿 | 客人大権現 |
十一面観世音菩薩 |
梅宮 | 鎮定大権現 |
勝軍地蔵菩薩 |
火宮 | 蔵王大権現 |
聖観音菩薩 |
剣宮 | 降魔大権現 |
倶利伽羅不動明王 |
このうち、山頂・大御前に祀られた二柱のうちの客人大権現は、中世後半以降、白山信仰の影響を受けて勧請されたものと考えられている。
中世以降、一大勢力を誇った石動衆徒は明治の神仏分離政策のもとで壊滅。神社の境内に今も残る厄除錫杖は、持ち上げて「石動権現」と唱えて振ると、前途明るく身体を守ってくれるという。
明治3年真言宗の石動山天平寺も廃寺に追い込まれ、伊須流岐比古神社に強制的に改組されます。
全国の石動社の多くは、伊須流岐比古神(石動彦)などを祭神とする神道の石動神社、もしくは五社神社となっています。
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