建部神社(長野県)の道祖神
集落のはずれ、道の辻などにひっそりとたたずむ道祖神。
「岐神」や「塞の神」とも呼ばれ、外部から侵入してくる疫病や災害を防ぐため、境界に祀られています。
集落の守神 | 路傍の神 | 交通安全の神 |
疫病除け | 災厄除け | 交通安全 |
子孫繁栄 | 五穀豊穣 | 無病息災 |
岐神 | 塞の神 | 道陸神 |
障の神 | 幸の神 | タムケノカミ |
仁王さん |
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道祖神の誕生譚は、記紀神話に記されています。
『古事記』では、黄泉国から帰ってきた伊邪那岐命が、この世との境、黄泉比良坂に引き塞いだ千引岩から地返之大神が成り、また禊を行ったときに投げ棄てた杖から衝立船戸神が、帯から道之長乳歯神が、褌から道俣神が成ったとあります。
『日本書紀』には、伊弉諾尊が黄泉平坂で伊奘冉尊に「ここより入ってくるな」といって投げた杖から岐神(来名戸祖神)が成ったと記されます。
この岐神や塞の神は、奈良から平安時代にかけて道饗祭や疫神祭で祀られます。『延喜式』に見える道饗祭の祝詞に、八衢比古・八衢比売・久那斗といった新名が出てくるのがそれにあたります。
さらに、天孫降臨神話に登場し、天八衢で道案内をした猿田毘古神が、往来の安全を保証する道祖神と同一視されるようになります。猿田毘古神と妻の天宇受売命の男女一対の形を表す道祖神も現存します。
一方で、道祖神は地蔵菩薩とも習合していきます。これは幼児が亡くなると、無縁仏として村の境に埋葬されたことにちなむそうです。近世、とくに江戸時代に入ってからは、今日見られるような道祖神に対する信仰が民間に浸透し、各地の村々や辻などに道祖神像が盛んに作られるようになりました。
「道祖」という名称自体は、古代中国の行路の神に由来するとされます。それが日本に古くから伝わる岐神や塞の神と融合して、道祖神の基本的な神格ができあがります。
道祖神は長野県に多く、安曇野市には約400体、松本市でも旧農村部に約370体もの石像道祖神が確認されています。
神奈川県真鶴町では特産の本小松石を江戸に運ぶために、村の男性たちが海にくり出していました。航海の安全祈願を込めて道祖神が作られていたそうです。
長野県辰野町沢底地区には日本最古のものとされる道祖神があるとされますが、一方で神奈川県にあるともされます。
正月明けの風物詩「どんと焼き」。小正月(1月15日)のころ、子どもたちが中心となって、門松や注連縄などを集めて焚く行事です。その火で焼いた餅を食べると、一年中、無病息災になるとされました。
どんど焼きが各集落の道祖神の所で行われていることや、その日には道祖神に供え物がなされたり「奉納道祖神」の幟(のぼり)が立てられたりすることから、どんど焼きは道祖神祭りの行事といえるでしょう。
大きな火を焚くのは集落全体の災厄の浄化を願うものであったと考えられます。
多くは素朴な石づくりの御神体で、男神と女神の祝事像や、握手・抱擁・接吻などが描写された像などの双体像、酒気の像、男根石、文字碑など個性的でバラエティが豊富です。
現存している道祖神は江戸時代中期から明治時代初期にかけたものとされます。
単体道祖神 | 双体道祖神 | 球状道祖神 |
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文字型道祖神 | 男根型道祖神 | 自然石道祖神 |
題目道祖神 | 多重塔道祖神 | 餅つき道祖神 |
佐倍乃神社 | 宮城県名取市愛島笠島字西台1-4 |
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道祖神社 | 千葉県船橋市本町4-38 |
洲崎神社 | 愛知県名古屋市中区栄1-31-25 |
道祖神社 | 京都府京都市下京区油小路通塩小路下ル |
猿田彦神社 | 奈良県奈良市今御門町1 |
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