出典:衣通姫「菊池容斎」
木花咲耶姫命、光明皇后、小野小町と並び、古代における有数の美女と名高い女性の1人です。名前の「ソトオリ」は肌の色艶が着ている衣を通して光り輝くようであるという容姿の美しさを意味します。伝説に語られる衣通姫は悲恋の主人公が、数奇な運命にもてあそばれる女性としても伝わります。
古事記 |
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衣通郎女・衣通王(そとおりのみこ) |
日本書紀 |
衣通郎姫(そとおしのいらつめ) |
別称 |
衣通姫尊(そとおりひめのみこと) |
和歌の神 |
和歌上達 | 技芸上達 |
あなたの「金運」を強力に引き上げる祈祷師の護符
出典:和歌の神さま 衣通姫伝説「広報いずみさの」
『古事記』では允恭天皇の条に、天皇の后の忍坂大中津姫の子「軽大郎女(かるのおおいらつめ)」として登場します。
母方の叔母がその美しさから「衣通姫」と呼ばれていましたが、軽大郎女もまた叔母に似て美しかったため、同様に「衣通姫」と呼ばれます。
軽大郎女は、同母兄の木梨軽太子に思いを抱きます。同母兄妹姦はタブーでしたが、恋の奔流を抑えることができずその思いを遂げます。
このことを知った群臣は木梨軽皇子から離れ、その弟である穴穂皇子(あなほのみこ)につきます。允恭天皇が崩御した時、本来であれば兄の木梨軽皇子が即位するはずでしたが、支持する者はおらず、かつての群臣たちは弟の穴穂皇子を支持します。
このままではまずいと木梨軽皇子は穴穂皇子を討とうとしますが、腹心の裏切りにより、逆に追いつめられ捕えられます。
その後、四国伊予へ流罪とされることになりますが、「私は必ず戻ってくるから待っていなさい」と軽皇女に言い残し、流刑地(伊予)へと去ります。
その後月日が流れ、再び再開した軽皇子と軽皇女は、わずかな時間を愛し合いますが、やがて二人は自害して物語は幕を閉じます。
『日本書紀』では、皇后の妹とされていて、天皇の寵愛を受けるが姉に嫉妬されて自由に会うこともままならず、恋い慕う熱い心を和歌に詠んで伝えたとされます。
この話にはタブーを犯してまでも愛を貫こうとする女性の情熱的で自由な姿を見ることができます。
豊かな知性を兼ね備えた才媛と伝わる衣通姫は、とくに和歌の才能に優れていたことから、和歌の道をめざす人の守護神として古くから崇敬されてきました。
近世以降は、柿本人麿、山部赤人と並び、和歌三神の一神に数えられています。
「年ふれども老いもせずして和歌浦に幾代に成ぬ玉つ島姫」という歌を詠んだ住吉大社の第三十九代神主で歌人の津守国基は、住吉神の祭神四社のほかに衣通姫を同社の内に祀ったとされます。
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