出典:柿本人麿(歌川国芳画)
持統天皇と次の第四十二代文武天皇の治世(687~706)に朝廷に仕えた宮廷歌人。死後、歌聖・和歌の神として世の歌人から信仰されます。
名称 |
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柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ) |
別称 |
人丸 |
歌聖 | 歌神 |
和歌上達 | 学問上達 | 夫婦和合 |
安産 | 火防 | 疫病防除 |
農耕・風波の守護 | 眼疾治癒 |
柿本人麿は山部赤人と並ぶ万葉の代表的な歌人で『万葉集』には長歌十六首、短歌六十一首が収録されている。その出自に関しては、大豪族・春日氏の傍流の柿本氏であることははっきりしているが、生没年や官歴などに関しては不明な部分が多い。
おそらく早くから歌の才能は周囲に認められるほどだったのでしょう。そのため宮廷に出仕し、歌を専門にする宮廷歌人として活躍します。
宮廷歌人といわれるのは、出仕していた時期の作品に、皇子や皇女の死にまつわる挽歌や天皇の行幸に随行して詠んだものが多いからとされます。
身分は従六位以下という低いランクだったようですが、その時期が人麿にとってはもっとも華々しい時代だったとされます。
のちに石見国(島根館益田市)に配属されるときも、下級官吏として中央から地方へ飛ばされたようなものでした。
人麿はそこで「鴨山の磐根し枕ける吾をかも知らにと妹が待ちつつあらむ」という歌を残してこの地で生涯を終えます。
『万葉集』に収録されている人麿の作品には、すべて「柿本朝臣人麻呂」と記されているが、「人麻呂」の名は正史のなかにはまったく記されていません。
人物像については謎が多く、すでに『万葉集』が編まれた時代から一種の伝説的な人物のようになっていたようです。
その伝説的な要素から、平安時代末期以降に神格化され、歌道家や歌を志す人々によって歌聖・歌神として仰がれるようになります。
本来が和歌の神である人麿に対するいろいろな形態の信仰は、一説に御霊信仰との集合によって生まれたとも言われます。
御霊信仰というのは、恨みを残して死んだ人間の霊魂が、生きた人間に祟りをなすという恐れから発生したもの。
その意味では、人麿も下級官吏として都から地方へ転属させられ、戻ることができないまま無念を残して死ぬという、いわば御霊としての資格を備えています。
どこか悲劇性を漂わす部分は、天神さま(菅原道真)と同質です。しかも、どちらも当代きっての文化人で、後の世の人々にも非常に人気があります。
心霊としての人麿は、和歌の神のほかにもさまざまな守護神として信仰されています。
たとえば火伏せの神、安産の神、農業の神、風波の神、紙の製法を伝えた神(高津の柿本神社など)。また、眼疾の神(明石の柿本神社)として信仰されています。
柿本神社 | 兵庫県明石市人丸町1-26 |
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柿本神社(高津柿本神社) | 島根県益田市高津町2612-1 |
歌神・柿本人麿を祭神とする神社は北海道から九州まで全国二百数十社を数え、和歌の上達を願う人の信仰を集めている。
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