弟橘姫はどんな神さま?描かれる姿と伝承。ご利益と神社も紹介
出典:弟橘媛「前賢故実」
日本武尊の妻。夫への愛を貫き、夫の使命達成のために自分の命を海の神に捧げた女神です。
名称
古事記 |
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弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと) |
日本書紀 |
弟橘媛(おとたちばなひめ) |
別称 |
橘姫命(たちばなひめのみこと) |
神格
海神を祀る巫女 |
ご利益
出世開運 | 商売繁盛 | 縁結び |
関連神
父神 | 穂積氏忍山宿禰 |
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夫神 | ヤマトタケル尊 |
子神 | 稚武彦王 |
夫のために海神に命を捧げた女神
オトタチバナヒメはヤマトタケル尊の妻として神話に登場します。夫への愛を貫き、夫の使命達成のために自分の命を海の神に捧げるために入水する場面は、純愛と悲劇性で昔から人々の心をとらえてきました。
『日本書紀』では、ヤマトタケル尊と共に東国遠征に加わります。上総(房総半島)に渡ろうとする際、「こんな小さい海、簡単に渡ることができよう」と自信満々なヤマトタケル尊でしたが、海の中ほどまでくると突然波が逆立ち荒れ狂い船が進まなくなります。
この時にオトタチバナヒメ命が、「私の命を捧げて海峡の神の心を鎮めましょう」と言い入水。するとたちまち海が静まり、ヤマトタケル尊は無事に海峡を渡ります。
『古事記』では、焼津で火攻めにあいながらも、草薙剣によって難を逃れたヤマトタケル命が走水海に至った時、海は荒れ狂い先に進むことが不可能でした。
海神の怒りを鎮めるため、オトタチバナヒメは「私は夫のヤマトタケルの身に替わって海に入ります。どうぞ夫の東征を護らせ給え」と念じ、浪の上に菅畳八重、皮畳八重、絹畳八重を敷き、その上に座って海に下ります。
その時にオトタチバナヒメは詠います。
さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の
火中(ホナカ)に立ちて 問ひし君はも
訳:ああ、相模の野原で火に囲まれた時、火中に立ち私を気遣ってくださったあなた。(どうかご無事で)
この和歌は、火攻めにあった時のことを言っている『古事記』にのみ存在します。ヤマトタケル命に対する気持ちがよく表れており、東国平定を達成したヤマトタケル命の「吾妻はや」という言葉とあわせると、ふたりは愛し合っていたことがわかります。
それから7日後にオトタチバナヒメが挿していた櫛が海岸に流れ着き、それを拾った人々が御陵を作り手厚く葬ったとされます。この場所が今日の橘樹神社とされます。
オトタチバナヒメ命の名前の『橘』は一種の霊樹とされています。常緑樹で冬でも枯れずに実をつけることから、強い生命力の象徴とされました。
こういった生命力の象徴と海神に仕える巫女的な性格が、戦士としてのヤマトタケル尊の力をより強めたということでしょう。