出典:倭迹迹日百襲姫命(Art Mochida Daisuke)
ヤマトトトヒモモソヒメ命は記紀等に伝わる古代日本の皇族で第七代孝霊天皇の娘。大物主神との神婚譚や箸墓古墳の伝承で知られます。神託により国の災いを鎮めたり、予知に優れることから邪馬台国の女王卑弥呼がイメージされたり、葬られたと伝わる箸墓古墳が卑弥呼の墓ではないかという説もあり、神秘的で謎めいた部分を持つ女神です。
古事記 |
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夜麻登登母母曽毘売 |
日本書紀 |
倭迹迹日百襲姫命 |
別称 |
倭迹速神浅茅原目妙姫 |
預言する巫女 |
諸願成就 | 厄除け | 家内安全 |
延命長寿 |
出典:倭迹迹日百襲姫命「田村神社」
日本書紀には「崇神天皇の叔母のヤマトトトヒモモソヒメ命は聡明で、よく物事を予知された」と記されます。
崇神天皇の時代に全国に疫病が流行り、田畑は荒れ、多くの民が飢えに苦しみました。そこで天皇が、災の原因を知ろうと占いをすると、一柱の神がヤマトトトヒモモソヒメ命に神懸りして「自分を大切に祀れば国の自然に平穏になるだろう」と告げました。
天皇がその名を問うと「大和の国の主でオオモノヌシ神である」と答えました。神託に従い天皇は、大三輪の祖である「大田田根子」を祭主に命じて、オオモノヌシ神を手厚く祀りました。するとたちまち国の災いは静まったとされます。
四道将軍の1人の大彦命が和珥坂で不思議な歌を詠う少女に出会います。 少女は 「ミマキイリビコはや おのが命を殺せんと ぬすまく知らぬに 姫遊びすも」と詠います。
大彦命は気になって尋ねます「なんじが言は何辭ぞ」。 少女は「物言はず、ただ歌うのみ」。 少女はもう一度同じ歌を詠うと姿を消します。
少女の歌に不吉な前兆を感じた大彦命は、この事を天皇に報告します。すると百襲姫はこれを「武埴安彦とその妻の吾田媛による謀反の前兆である」と告げます。
その言葉どおり謀反は起こりますが、事前に知ることができたおかげで反乱を防いだとされます。
『日本書紀』の崇神天皇の条に、ヤマトトトヒモモソヒメ命はオオモノヌシ神の妻になったが、夫は夜に通ってきて、その顔を見ることができませんでした。
それに不満が募り、ある夜、ぜひ顔がみたいと強引にせまりました。するとオオモノヌシ神は「朝になったら櫛箱に入っているが、姿を見ても決して驚くなよ」と告げます。
翌朝、櫛箱を開けてみると、中には小さな蛇がおり、驚いたヤマトトトヒモモソヒメ命は思わず悲鳴をあげると、蛇はたちまち若者の姿になり、恥をかかされたとことを怒り、空へ飛んで三輪山に帰ってしまいます。
それを激しく後悔したヤマトトトヒモモソヒメ命は、端で陰部を突き死んでしまいました。
後に、ヤマトトトヒモモソヒメ命が葬られた墓は昼は人間が作り、夜は神々が作ったとされ、当時の人々は箸墓とよんだそうです。現在、その墓と伝わるのが奈良県桜井市の三輪山山麓西側にある箸墓古墳とされます。
オオモノヌシ神を祀る三輪山は、大和朝廷に非常に重要視された祭場で、伊勢にアマテラス大神が祀られる前は、三輪山で朝廷の太陽神祭祀が行われていました。
その祭司を努めたのがヤマトトトヒモモソヒメ命だったとされます。
預言者的な巫女のヤマトトトヒモモソヒメ命の姿は、国の政治を左右する力を持つ卑弥呼や、神功皇后といった女性の姿が連想されます。
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