出典:吉備津彦の想像図「歌川国芳」
桃太郎のモチーフになった神さま。四道将軍の1人で西道に派遣され吉備国を平定する任にあたります。281歳まで生きたとされることから延命長寿のご利益があるとされる神さまです。
古事記 |
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比古伊佐勢理毘古命(ひこいさせりひこのみこと) |
日本書紀 |
彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと) |
別称 |
吉備都彦 |
軍神 |
延命長寿 | 武運長久 | 家内安全 |
厄除け | 病気平癒 | 子育て守護 |
産業興隆 | 五穀豊穣 |
父 | 孝霊天皇 |
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母 | 倭国香媛 |
姉 | 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと) |
キビツヒコ命の名からすぐに連想されるのは、鬼退治で有名な桃太郎ですね。その結びつきは岡山市にある吉備津神社祀られるこの神さまの伝説に見られます。
その昔に、異国からやってきたとされる鬼が吉備津国に住みつきました。温羅(うら)と呼ばれたその鬼は、もともと百済の王子だったとされます。大きい体に、真っ赤な髪を生やしたその姿は異様で、性格は極めて残忍。
現在の吉備津神社から西北へ約10kmほどの場所にある片岡山に作られた「鬼の城」を拠点にして、暴虐の限りを尽くしたとされ、人々を恐怖のどん底に叩き落していました。
この事態に朝廷から派遣されたのが(キビツヒコ命で、現在の吉備津神社から近い場所である「吉備の中山」に陣を張り、「鬼ノ城」に棲む温羅と対峙します。
戦いが始まると、キビツヒコ命は得意の剛弓で矢を射るも、温羅は岩石を次々と投げこれをことごとく落します。
このままではまずいと考えたキビツヒコ命は、二本の矢を同時に放ち、1本が岩石に、もう1本は見事に温羅の目を貫きます。
すると温羅は雉(キジ)に化けて逃げたので、五十狭芹彦命は鷹に化けて追いかけます。たまりかねた温羅は今度は鯉に化け逃げますが、それを見たキビツヒコ命は鵜の姿になり、逃れる温羅を捕らえます。
この温羅退治の伝承と全国に語られる「桃太郎」の類似性から、岡山が桃太郎伝説の舞台だと言われるようになりました。
『日本書紀』によれば、キビツヒコ命は第七代孝霊天皇の子で、姉はヤマトトトヒモモソヒメ命とされます。
崇神天皇の治世に四道将軍(天皇の命で天下平定のために地方に派遣された軍事・行政長官)の1人として吉備国に派遣され、吉備地を平定する任にあたりました。
平定後はキビツヒコ命の子孫がこの地に繁栄し、吉備臣(きびのおみ)となり勢力を振るったとされます。
吉備津神社の縁起によると、吉備国を平定したキビツヒコ命は、吉備の中山のふもとに建てた御殿「茅葺宮」に住みながら政治を行い、281歳まで生きたとされています。
この長寿にちなんで延命長寿の神とされています。現在でも吉備津神社の奥にある吉備中山の中腹には、キビツヒコ命の墓と伝わる墓陵があります。
温羅は鬼ノ城に住み周辺地域を荒らしたが、吉備津彦命は犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)の3人の家来とともに温羅を討ち、祟りを鎮めるために温羅の首を吉備津神社の釜の下に封じたとされます。
この伝承では温羅は討伐される側の人物として記述されていますが、吉備は「真金(まかね)吹く吉備」という言葉にも見えるように、古くから鉄の産地として知られています。
このことから温羅は製鉄技術をもたらして吉備を繁栄させた渡来人であるとする見方や、鉄文化を象徴する人物ともみれます。
また、温羅は吉備津神社の本来の祭神と見る説もあり、ヤマト王権に吉備が服属する以前の吉備津神社には吉備の祖神として温羅が祀られていたとされます。服属によって祭神がヤマト王権系の吉備津彦命に入れ替わったという見方もあるようです。
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