国津神の英雄「大国主」

大国主神

出典:大国主大神(Art Mochida Daisuke

大国主(オオクニヌシ)とは?

国津神。様々な日本神話や風土記に記される英雄。複数の名を持ち、多くの妻と子を持つことから多彩な力と性格を持ち合わせる偉大な神さまで、出雲大社の主祭神として祀られます。国造り国譲りなど日本の礎を築いたとされます。

 

大国主の名称・ご利益・関連神

名称

古事記

大国主神(おおくにぬしのかみ)

別称

大己貴命(おおなむちのみこと)
大物主神(おおものぬしのかみ)
葦原醜男(あしはらしこを)
八千矛神(やちほこのかみ)
幽冥主宰大神 (かくりごとしろしめすおおかみ)
所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)
杵築大神(きづきのおおかみ)
大名持命(おおなもちのみこと)
伊和大神(いわおおがみ)
大汝命(おおなむちのみこと)
葦原志許乎命(あしはらしこおのみこと)

神格

国造りの神 農業神 商業神
医療神 縁結びの神 国津神

ご利益

縁結び 子授 夫婦和合
金運 病気平癒 産業開発
交通、航海守護 商売繁昌 五穀豊穣
厄除け
あなたの「金運」を強力に引き上げる祈祷師の護符

関連神

父神

天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)※古事記
素戔鳴尊(すさのおのみこと)※日本書紀

母神 刺国若比売(古事記)

妻神と御子神

須勢理毘売命 記載なし
多紀理毘売命

阿遅鉏高日子根神
下照比売

神屋楯比売命

事代主神
高照光姫命

八上比売 木俣神
沼河比売 建御名方神
鳥取神 鳥鳴海神

大国主は様々な女神との間に多くの子供をもうけており、古事記・日本書紀・先代旧事本紀・出雲国風土記に記載されている他にも、各地の神社社伝にも名がある。

多彩な力と性格を持ち合わせる強力な神さま

大国主の絵

出典:大国主大神「出雲大社と大国主大神」

 

『古事記』によると、根の国へ行きスサノオ尊から課される多くの試練を経て、スサノオ尊の娘スセリヒメ命と結婚。葦原中国の支配権を義父から譲り受けて以降、天津神への国譲りまで地上の王として君臨した神です。

 

オオクニヌシ神には多くの称があり、八百万の神々の中でもこれほど多くの呼び方をされる神さまはいません。しかし、どうしてそんなに多くの名前を持つのでしょう?その理由は名前が示す意味に秘められています。

 

大国主とは、大いなる国土の王。出雲国を治める「王」を意味します。

 

大穴牟遅の(チ)は、自然神的霊威にあてられる音で地を意味し「大地の神」を表し、大物主の(モノ)は、霊威・霊格のことで「強力な霊格」を称える名称、醜男の(シコ)は葦原のような「野性的で力強い男」の意味します。さらに八千矛は文字通り「武力や軍事力」を象徴しています。

 

別名の多さや、妻子の多さは大国主が広い地域で信仰されていた事を示します。それだけ多彩な力と性格を持ち合わせる強力な神であることがわかります。

 

神さまの中でも群を抜く美男子。そして艶福家

大國主大神

出典:大國主大神「Art Mochida Daisuke

 

大国主が縁結びの神として人気があるのは、美男で大変な艶福家(多くの女性に愛され慕われる男性。 女にもてる男)であるということでしょう。

 

大国主が結婚した女性は、自分の兄神達と争って得たヤガミヒメ命、スサノオの娘のスセリヒメ命、ヒスイの精霊ヌナカワヒメ命、宗像三女神のタギリヒメ命、コトシロヌシ命を生んだカムヤタテヒメ命、ヤジマムジノ命の娘のトリミミ命など多く、子供は古事記に180柱、日本書紀では181柱と記されています。

 

いってみれば多淫な愛欲神といってもいいほどの神さまですが、艶福は豊穣神としての霊力の象徴です。この出会いの多さが縁結びの神として祀られている理由なのでしょう。

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大国主の神話(因幡の白兎・八十神たちの迫害・スサノオの試練)

因幡の白兎の話、根の国訪問の話、妻問いの話や、国作り、国譲りなど、オオクニヌシ神にまつわる物語は数多くあります。

因幡の白兎

大国主と因幡の白兎
はるか昔、出雲の国に大国主という神様がいました。大国主には多くの兄神(八十神)がいましたが、彼らはとても乱暴者で大国主はいつも酷い目に合わされていました。

 

ある日、「因幡いなば八上比賣ヤガミヒメという、美しい姫がいる」という噂が流れ、それを聞きつけた兄神たちは、結婚を申し込むために因幡へ旅立ちます。重い荷物を大国主に押し付けると、兄神たちは意気揚々と旅立ちます。

 

重い荷物を背に、兄神たちの後を追っていた大国主は、海岸でサメに皮をはがされ泣いているうさぎを見つけます。

 

「なぜ泣いているの?」と大国主が聞くと、ウサギは「隠岐の島からこの地に渡ろうとしましたが、渡る手段がありませんでした。そこで、ワニザメ(和邇)を騙して、『私達ウサギとあなた方一族とを比べて、どちらの数が多いか数えよう。できるだけ同族を集めてきて、この島から気多の前まで並んでおくれ。私がその上を踏んで走りながら数えて渡ろう』と誘いました。

 

すると、ワニザメは列をなしたので、私はその上を踏んで数えるふりをしながら渡りました。地上に下りようとしたときに『お前たちは騙されたのさ』つぶやくと、それを聞いた最後のワニザメに捕まり毛を剥がされてしまいました。

 

それを泣き憂いていたところに、八十神たちがやってきて『海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい』と教えられたので、そうしたところ、この身はたちまち傷ついてしまったのです。

 

それを聞いた大国主は「今すぐ水門へ行き、真水で体を洗い、その水門の蒲(がま)の穂をとって敷き散らし、その上を転がって花粉をつければ、はだはもとのように戻り、必ず癒えるだろう」と教えます。ウサギは言われたとおりにすると、キズも治り元気になりました。

 

喜んだ兎は「ヤガミヒメは、心優しいあなたを結婚相手に選ぶでしょう」と予言します。

 

嫉妬に狂った八十神(兄神)たちからの迫害

ウサギの予言通りヤガミヒメノとオオクニヌシは恋に落ち結ばれますが、それを知った兄神たちは怒り嫉妬し、オオクニヌシの殺害を企てます。

 

兄神たちは、オオクニヌシを伯耆の国にある手間の山のふもとへ連れて行き、「珍しい赤い猪を山の上から追い立てるので下で捕まえろ」と言いつけます。兄神たちは、オオクニヌシを殺すために、火で真っ赤に焼いた大岩を上から転がし落とします。落ちてくる真っ赤な大岩を猪だと信じて疑わないオオクニヌシは、大岩を正面から受け止め、無残にも焼き潰され絶命します。

 

これを知ったオオクニヌシの母刺国若姫命サシクニワカヒメは嘆き悲しみ、神産巣日命カミムスビノミコトに助けを求めます。母の願いを聞いたカミムスビは、赤貝の神蚶貝比売キサガイヒメと、ハマグリの神蛤貝比売ウムギヒメを地上に遣わします。

 

キサガイヒメが貝殻で大国主の体を岩からはがし、ウムギヒメが母乳と清水井の水で練った薬を大国主の体に塗りつけると、大国主は息を吹き返します。しかし、これを見た兄神たちは直ぐに次の策を考えます。 今度はオオクニヌシを山中深くに誘い、大きな木に挟み殺してしまいました。

 

このときも母神が生き返らせますが、このままだと本当に殺されてしまうと心配し、 紀伊国の大家毘古之神オオヤビコノカミの元へ逃がします。

 

しかし、兄神たちは紀伊国まで追いかけ執拗にオオクニヌシを殺そうとします。 ここまでする兄神を見た母神は素戔嗚命スサノオノミコトが治める「根の堅州国ねのかたすくに」へ逃げる様にと伝えます。

 

根の国に渡ったオオクニヌシは、ある女神と運命的な出会います。

 

根の国訪問。スセリビメとの出会いとスサノオの試練

大国主の像

出典:大国主「出雲大社」

 

根の国に渡ったオオクニヌシは、スサノオの娘神「須勢理毘売命スセリビメノミコト」に出会い恋に落ち、父神であるスサノオに結婚の許しを請います。しかし、スサノオは簡単には応じず、オオクニヌシに様々な試練を与えます。

 

最初の試練は「無数の蛇がうごめく寝室で寝る」でした。オオクニヌシが心配なスセリビメは「蛇が襲ってきたら、この領巾ひれを三回降ってください」と言い、呪力を持った領巾を渡します。これでオオクニヌシノカミは無事に一つ目の試練をクリアします。

 

2つ目の試練は「ムカデとハチがたくさんいる寝室で寝る」というものでしたが、これにもスセリビメは呉公蜂の比礼を授けてオオクニヌシを助けます。

 

3つ目の試練は、スサノオが広い野原に向かって矢を放ち「あの矢を拾ってこい」と命じます。これまでの試練に比べると簡単に思えますが、オオクニヌシが矢を拾いに野原に入ると、なんとスサノオはその野原に火を放ちます。

 

さすがのオオクニヌシも「もはやこれまで」と諦めかけると突然ネズミが現れ、地面の下に空洞があることを教えてくれます。オオクニヌシは思い切り足元を踏みつけると空洞があり、その中で炎をやり過ごします。 さらにそのネズミはスサノオが放った矢を探してきてくれました。

 

それを知らないスセリビメは、オオクニヌシが死んだと思い泣き崩れていましたが、矢を手に無事な姿を表します。

 

オオクニヌシを見直し始めたスサノオは、最後の試練として自らの寝室に招き入れ「我が頭のシラミを取れ」と命じます。しかし、スサノオの頭にはシラミではなくムカデでした。

 

この時すでにスセリビメより「むくの実」と赤土を受け取っていたオオクニヌシは、これを口に含んで吐き出しを繰り返します。これを見たスサノオはムカデを口の中で噛み潰していると思い感心。心を許したのかそのまま眠ってしまいました。

 

眠るスサノオを見たオオクニヌシは、スサノオの長い髪を大きな柱に結びつけ大きな岩で入口を塞ぎます。そしてスセリビメを背負い、生太刀、生弓矢、天詔琴の宝物を持って逃げます。

 

「なんとか逃げ出せた」そう安心したその時、持っていた琴が木にあたり、大きな音が鳴り響きます。 この音を聞いたスサノオは目を覚まし、慌てて飛び起きましたが柱に結びつけられた髪が邪魔で追いかけられません。

 

その間にどんどん逃げるオオクニヌシ、髪を解いて追いかけるスサノオ。地上との境である黄泉平坂ふよもつひらさかまで追いかけたスサノオは足を止め、オオクニヌシ向かって叫びます。

 

「お前が奪った太刀と弓矢で八十神を倒せ!そして大国主と名乗り、スセリビメと結婚し大きな宮殿を建てて住め!」と。

 

それまでスサノオはオオクニヌシを葦原色許男あしはらのしこおと呼んでいましたが、ここから大国主と名乗るようになります。

 

神話の中でオオクニヌシ神は幾度となく理不尽な迫害を受け命を落としますが、そのたびに救いの手が差し伸べられ生き返ります。そして受け身一方だったオオクニヌシが、スサノオの試練ではじめて主体的な行動を起こしました。

 

もしかしたらスサノオは、オオクニヌシが娘を奪い、生太刀・生弓矢を奪っていくのを、期待していたのかもしれません。「我が娘を、我が国の宝物を、自らの力で奪ってゆく『強き者』でなけなければ、我が後継者たり得ないのだ」と。

 

大国主の正妻を諦め、身を引くヤガミヒメ

オオクニヌシはスセリビメを正妻とし、出雲の国造りを始めます。

 

しかし、それはヤガミヒメは正妻にはなれない事を決定づけました。ヤガミヒメはその事を知るわけもありません。オオクニヌシの子を身ごもったヤガミヒメノは出産が近いため、オオクニヌシに会うために出雲国を訪れます。

 

そして、出雲国で知った悲しい現実。

 

「この子が大国主の子だとお伝えをしても、はたして出雲国の王家の子として扱ってもらえるのか?しかし因幡国で生んだとしても、誰の子だと伝えたらよいのか」と悩んだでしょう。また、嫉妬深い性格とされるスセリビメを恐れ、泣く泣くオオクニヌシを諦め因幡国へ帰ります。 しかし既に臨月を迎えていたため、出雲国で出産します。

 

産まれた御子は出雲にも因幡にも行く場所がなく、ヤガミヒメは泣く泣く子供をこの地に残します。早く誰かに見つけてもらえるようにと木の枝の間にそっと御子を置かれると、因幡の国へ帰ります。木の間に置かれていたことから、御子の名は木俣神きまたのかみと名付けられます。

 

愛するオオクニヌシを諦め、最愛の我が子を手放し、身も心も疲れ果てたヤガミヒメ。帰り際に湯の川温泉の湯に浸かり、傷ついた心と身体を癒します。

 

そこで「火の山の ふもとの湯こそ恋しけれ 身を焦がしても妻とならめや」と歌を詠んだとされます。

大国主の神話(国造り・国譲り)

国造りのパートナー少彦名命との出会い

少彦名命と大国主

出典:少彦名命と大名持命「酒列磯前神社」

 

大国主が出雲の美保岬にいたとき、の衣をを着た小さな神が、海の彼方から天の羅摩船あめのかがみのふねがに乗って現れます。

 

大国主はその小さな神に名を尋ねますが答えてくれません。そこにヒキガエルの多邇具久タニグクが現れて、「これは久延毘古クエビコなら知っているでしょう」と言います。久延毘古は山田のかかしで、歩くことはできないが、世の中のことは何でも知っている神さまです。久延毘古は「その神は神産巣日神の御子の少名毘古那神である」と答えました。

 

神産巣日の元を訪れ問うと、「これは間違いなくの我が御子神スクナビコナです」と答えます。あまりに小さき神のため、神産巣日の指の隙間から落ちてしまった子だということが判明しました。

 

続けて神産巣日は、「我が子の少彦名命と共に、国作りを続けるよう」と命じます。こうして、オオクニヌシとスクナビコナは兄弟となり、国作りに励むことになります。『古事記』ではスクナビコナの親神は神産巣日ですが、『日本書紀』では高皇産霊尊タカミムスビの子と記されます。

 

大国主と少彦名命は日本の発展に大きた恩恵をもたらしたと、日本書紀や各地の風土記にその活躍が記されています。人々や家畜のために病を治す方法、農耕における害虫駆除の方法を教えるなど、医療・農耕の技術を向上させました。

 

風土記では「温泉の術ゆあみのみち」を定め、これが箱根の元湯になったとも伝えられます。また、四国伊予(愛媛県)で少彦名命が倒れた時に、大国主命は海中に樋を通して速見の湯(別府温泉)から湯をを引き、少彦名命に注いだところ元気になります。これが道後温泉の由来とされています。

 

大国主と少彦名命の全国行脚の旅は、葦原中国、つまり日本に数々の生活の知恵・知識を広め、多くの恩恵をもたらし、国作りとして国家の礎を築いていきました。

 

しかし、国造り半ばにして、少彦名命は自分の役割は終わったとして、粟の茎にのぼり、その弾力を使って常世の世界に帰ってしまいます。

 

大国主はこの先1人でどう国作りを進めればいいのか、その方向性を見失い途方に暮れ海を眺めていると、海面を照らしながらやってくる神が現れました。

 

二人目の国造りパートナー大物主神

海の向こうから現れた神は、大物主神オオモノヌシノカミでした。大物主神は「私は、幸魂奇魂さきみたまくしみたまである。私を祀り、共に国作りをしましょう」と大国主に告げます。大国主はどう祀ればよいのか?と尋ねると「大和国の東の山の頂きに祀りなさい」と言われたので、大物主神を大和の御諸山みもろやま(現在の三輪山)に祀ります。

 

そして、大国主はついに国造りを成し遂げます。

 

大物主神の正体は大国主の和魂にぎみたま。いわゆるひとつの人格における安らぎの面と言われています。少彦名命というパートナーを失った大国主は、その絶望から立ち直るため、自らの半身を別人格化することで、目的を達成したのかもしれません。

 

少彦名命は経済活動という実利的な役割を、大物主神は祭祀活動という観念的な役割を担い国造り成したと見れるでしょう。

 

天照大御神の国譲り(葦原中国平定)

国造りを成した大国主は、出雲、伯耆と因幡の2国に加え、山陰から北陸、信濃までを統治しました。

 

この大国主に対し、高天原を治めていた天照大神は「葦原中国は我が子が統治すべき」と考え、高天原の神々と相談し、次々に使者を送ります。何人もの使者を送りますが、大国主は使者を懐柔し国譲りを拒みます。

 

天照大神は最後に高天原の武の象徴とされる武甕槌命タケミカヅチノミコトと、副官として天鳥船神アメノトリフネを遣わします。

 

出雲の国の伊耶佐の小浜に降り立った武甕槌命は、剣を抜き逆さまにして柄を下にして突き立て、その剣の切っ先の上にあぐらを組んで大国主と対峙。

 

そして大国主に「私たちは天照大神様の命令できた。葦原中国は我が子が統治すべきだと天照大神様はおっしゃっているが、あなたはどう思うか?」と威圧的に話します。

 

大国主は「私の一存ではお答えできません。息子の事代主神コトシロヌシがお答えいたしましょう。ですがあいにく美保の岬へ漁に出かけております」と答えました。

 

そこで天鳥船神が事代主神を連れて帰り国譲りを迫ると、事代主神は「恐れ多いことです。言葉通りこの国を差し上げましょう」と答えると、船をひっくり返し、逆手を打ち船の上に青柴垣あおふしがきを作りその中に隠れます。

 

武甕槌命は「事代主神は承知した。他に意見を言う者はいるか」と大国主に訊ねると、大国主は「もう一人の息子の建御名方神タケミナカタノカミにも訊いてほしい」と言います。

 

千引石を持ち上げるタケミナカタ

出典:千引石を持ち上げるタケミナカタ「萩野由之」

 

そこへ建御名方神が千引石を手の先で持ち上げながらやって来て、「ここでひそひそ話すのは誰だ。それならば力競べをしようではないか」と武甕槌命の手を掴みます。しかし、武甕槌命は手をつららに変え、さらに剣に変化させます。それに怯んだ建御名方神の腕をつかむと、若い葦を摘むように握りつぶし放り投げます。

 

武甕槌命の力を恐れた建御名方神は科野国の州羽の海まで逃げ出しますが、逃げ切れず「恐れ入りました。どうか殺さないでください。この土地以外のほかの場所には行きません。私の父・大国主神や、事代主神の言葉には背きません。天津神の御子の仰せの通りに、この葦原中国を譲ります」と言い建御雷命に降参します。

 

武甕槌命は出雲に戻り大国主神に再度訊ねます。大国主は「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げましょう。その代わり、私の住む所として、天津神の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿をお建て下さい。そうすれば私も従いましょう。私の180柱の子神たちは、長男の事代主神に従い天津神に背かないでしょう」と言います。

 

これにより国譲りが成立しました。

忘れられた神の怒りを鎮める強力な神

大国主神

出典:大国主神「日本の神々辞典」

 

大国主の国譲りは、話し合いによってなされたことになっていますが、天照大神との間で激しい争いがあり、激しい怨念を抱いたまま隠れたのではないかとも考えられます。激しい怨念を抱いたまま死んだ大国主は、怨霊、祟り神としてみることができます。

 

小さな集落などで時には氏子が断絶し、廃社に至る神社では本来の祭神が不明になることが多く、復興する際に本来祀られていた神の祟を鎮める意味合いから、その強大な力を持つ大国主を勧誘することが多いようです。

大黒天と習合し財福の神さまに

大黒天

大黒天

 

大国主は神仏習合の際、仏教の守護神の大黒天と習合されました。以降「ダイコクさま」と呼ばれるようになり、大きな袋を担いで打出の小槌を持ちながら、米俵に乗っている七福神の「大黒さま」と同一視されるようなります。

 

江戸時代には同一視され、民間信仰の中で大黒様として親しまれるようになりました。大国主は天皇家につらなる国づくりの神様、大黒天はヒンドゥー教に由来するインド密教として伝来し、仏教の流れとして広まります。

 

大黒天の神使「ネズミ」

 

その大黒さまの神使はネズミ(十二支の子)とされています。これは大国主が根の国でスサノオから試練を与えられた際に、ネズミに助けられた神話と、ネズミが屋敷を守る霊獣とする民俗信仰が結びついたものと考えられます。

 

大国主を祀る子神社(根神社)が多く分布するのも、霊獣のネズミとの結びつきからきたものとされます。

 

ただし、出雲大社では七福神の「大黒天」と「大国主」は別の神様としています。

 

参照:出雲大社「「大国主大神」と「だいこくさま」は同じ神様ですか?」

大国主を祀る神社【都道府県別】

出雲大社
大国主を祀る神社をまとめました。神社名から参考ページ(外部サイト)に移動します。

 

北海道

鳥取神社 北海道釧路市鳥取大通4-2-18
北海道神社 北海道札幌市中央区宮ケ丘474
三吉神社 北海道札幌市中央区南1条西8-17

青森県

岩木山神社 青森県弘前市大字百沢字寺沢27
櫛引八幡宮 合祀殿 青森県八戸市八幡字八幡丁3
廣田神社 青森県青森市長島2-13-5

秋田県

大国主神社 秋田県仙北市西木町西明寺字堂村92-1
総社神社 秋田県秋田市川尻総社町14-6
日吉神社 秋田県能代市御指南町3-24

岩手県

遠野郷八幡宮 岩手県遠野市松崎町白岩23-19
岩手山神社 岩手郡雫石町大字長山字頭無野60
大國神社 岩手県盛岡市津志田20-39

山形県

金峯神社 山形県鶴岡市青龍寺字金峯1
歌懸稲荷神社 山形県山形市十日町1-1-26
出羽三山神社(湯殿山) 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7

宮城県

大國神社 宮城県仙台市青葉区芋沢字末坂27-14
松尾神社 宮城県仙台市青葉区宮町4-2-43
古川神社 宮城県大崎市古川諏訪2-6-55

福島県

大國魂神社 福島県いわき市平菅波宮前54
福島稲荷神社 福島県福島市宮町1-29
金刀比羅神社 福島県いわき市常磐関船町諏訪下6-3

茨城県

大洗磯前神社 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890
酒列磯前神社 茨城県ひたちなか市磯崎町4607-2
大國玉神社 茨城県桜川市大国玉1

栃木県

日光二荒山神社 栃木県日光市山内2307
大前神社 栃木県真岡市東郷937
大神神社 栃木県栃木市惣社町477

群馬県

咲前神社 群馬県安中市鷺宮3308
中之嶽神社 群馬県甘楽郡下仁田町大字上小坂1248
大國神社 群馬県伊勢崎市境下渕名2827

埼玉県

氷川神社 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407
久伊豆神社 埼玉県さいたま市岩槻区宮町2-6-55
大野神社 埼玉県鴻巣市大間2-11-26

千葉県

白子神社 千葉県長生郡白子町関5364
二宮神社 千葉県船橋市三山5-20-1
菊田神社 千葉県習志野市津田沼3-2-5

東京都

神田明神 東京都千代田区外神田2-16-2
大國魂神社 東京都府中市宮町3-1
氷川神社 東京都新宿区下落合2-7-12

神奈川県

貴船神社 神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1117
出雲大社 相模分祠 神奈川県秦野市平沢1221
杉山神社 神奈川県横浜市西区中央1ー13ー1

新潟県

居多神社 新潟県上越市五智6-1-11
御嶽山神社 新潟県柏崎市大久保1-13-10
湊稲荷神社 新潟県新潟市中央区稲荷町3482

富山県

髙瀬神社 富山県南砺市高瀬291
氣多神社 富山県高岡市伏木一宮1-10-1
十社大神 富山県射水市三ケ(高寺)1753

石川県

氣多大社 石川県羽咋市寺家町ク1-1
能登生国玉比古神社 石川県七尾市所口町ハ48
大国主命社 石川県羽咋郡宝達志水町敷浪4-86-1

福井県

総社大神宮 福井県越前市京町1-4-35
恵比須神社 福井県三方上中郡若狭町末野36-11
足羽神社 福井県福井市足羽1-8-25

山梨県

玉諸神社 山梨県甲府市国玉町1331
美和神社 山梨県笛吹市御坂町二之宮1450
根神社 山梨県富士吉田市上吉田5-4-3

長野県

大國主神社 長野県長野市大字南長野字徳永沖1044-4
矢彦神社 長野県上伊那郡辰野町大字小野字八彦沢3267
御嶽神社 長野県木曽郡王滝村3315

岐阜県

樹下社(南宮大社境内) 岐阜県不破郡垂井町宮代1734-1
洲原神社 岐阜県美濃市須原468-1-1
気多若宮神社 岐阜県飛騨市古川町上気多1297

静岡県

小國神社 静岡県周智郡森町一宮3956-1
久須志神社(富士山本宮浅間大社境内) 静岡県富士宮市宮町1-1
來宮神社 静岡県熱海市西山町43-1

愛知県

砥鹿神社 愛知県豊川市一宮町西垣内2
津島神社 愛知県津島市神明町1
御津神社 愛知県豊川市御津町広石祓田70

三重県

射山神社 三重県津市榊原5073
加佐登神社 三重県鈴鹿市加佐登町2010
河邊七種神社 三重県伊勢市河崎2-19-29

滋賀県

日吉大社 滋賀県大津市坂本5-1-1
建部大社 滋賀県大津市神領1-16-1
天孫神社 滋賀県大津市京町3‐3‐36

京都府

出雲大神宮 京都府亀岡市千歳町出雲無番地
一宮神社 京都府福知山市字堀2249
地主神社 京都市東山区清水1-317

大阪府

出雲大社 大阪分院 大阪府大阪市東住吉区山坂5-6-17
元宮 土師社(道明寺天満宮境内) 大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
大江神社 大阪市天王寺区夕陽丘町5-40

兵庫県

有間神社 兵庫県神戸市北区有野町有野4435
髙砂神社 兵庫県高砂市高砂町東宮町190
伊和神社 兵庫県宍粟市一宮町須行名407

奈良県

大神神社 奈良県桜井市三輪1422
大和神社 奈良県天理市新泉町306
丹生川上神社 西殿 奈良県吉野郡東吉野村大字小968

和歌山県

熊野那智大社 瀧宮 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
熊野那智大社 別宮 飛瀧神社 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
大國主神社 和歌山県紀の川市貴志川町国主1

鳥取県

大神山神社 鳥取県米子市尾高1025
赤猪岩神社 鳥取県西伯郡南部町寺内232
樂樂福神社 鳥取県日野郡日南町宮内1065

島根県

出雲大社 島根県出雲市大社町杵築東195
恵比寿神社(物部神社境内) 島根県大田市川合町川合1545
日吉神社 島根県出雲市今市町1765

岡山県

國司神社 岡山県新見市高尾1763
備前国総社宮 岡山県岡山市中区祇園596
大国主命社(亀石八幡神社境内) 岡山県高梁市備中町布賀1600

広島県

甘南備神社 広島県府中市出口町745
三翁神社(厳島神社 境外摂社) 広島県廿日市市宮島町1-1
金刀比羅神社(厳島神社 境外摂社) 広島県廿日市市宮島町1-1

山口県

三坂神社 山口県山口市徳地岸見字樋ノ口557
恵比須神社(亀山八幡宮境内) 山口県下関市中之町1-1
佐波神社 山口県防府市惣社町6-2

徳島県

八桙神社 徳島県阿南市長生町宮内463
護國神社 徳島県雑賀町東開21-1
事代主神社 徳島県徳島市通町2-16

香川県

金刀比羅宮 香川県仲多度郡琴平町892-1
出雲大社 讃岐分院 香川県三豊市豊中町比地大3142
新羅神社 香川県善通寺市金蔵寺町1165

愛媛県

大洲神社 愛媛県大洲市大洲神楽山417
湯神社 愛媛県松山市道後湯之町4-10
佐古岡神社 松山市馬木町141

高知県

椙本神社 高知県吾川郡いの町大国町3093
小津神社 高知県高知市幸町9-1
出雲大社 土佐分祠 高知県高知市升形5-29

福岡県

八坂神社 福岡県北九州市小倉北区城内2-2
美奈宜神社 福岡県朝倉市林田210
出雲大社 福岡分院 福岡県福岡市西区今宿町418-23

佐賀県

印鑰社 佐賀市大和町大字尼寺1528
佐賀恵比須神社(與賀神社境内) 佐賀県佐賀市与賀町2-50
金刀比羅神社 佐賀県佐賀市金立町金立3349

長崎県

諫早神社 長崎県諫早市宇都町1-12
出雲大社 長崎分院 長崎県長崎市桜町8-5
小濱神社 長崎県雲仙市小浜町北本町862

熊本県

西浦荒神社 総社宮 熊本県熊本市北区貢町906
別所琴平神社 熊本県熊本市中央区琴平本町12−27
祖霊社(西岡神宮境内) 熊本県宇土市神馬町577

大分県

臼杵八坂神社 大分県臼杵市臼杵1
八幡朝見神社 大分県別府市朝見2-15-19
市辺田八幡社 大分県豊後大野市三重町赤嶺990

宮崎県

都農神社 宮崎県児湯郡都農町川北13,294
御崎神社 宮崎県北諸県郡三股町大字長田字牧
一葉稲荷神社 宮崎県宮崎市新別府町前浜1402

鹿児島県

日枝神社 鹿児島県日置市伊集院町麦生田334
御崎神社 鹿児島県熊毛郡南種子町西之7271
大穴持神社 鹿児島県霧島市国分広瀬3-1089

沖縄県

浮島神社(波上宮内仮宮) 沖縄県那覇市若狭1-25-11
出雲大社 沖縄分社 沖縄県那覇市古島1-16-13

その他全国の出雲、伊豆毛、出雲伊波比、出雲大神宮、大己貴、大己貴遅、大穴持、大名持、大御和、兵主、子神社など

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