多遅摩毛理(Art Mochida Daisuke)
『古事記』では新羅からの渡来神とされるアメノヒボコ命の子孫で、三宅連(みやけのむらじ)の祖とされる神さま。天皇の命により常世の国へ渡り「非時香菓(ときじくのかくのみ)」を採取してきます。お菓子の神や柑橘の祖神とされます。
古事記 |
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多遅摩毛理 |
日本書紀 |
田道間守 |
菓子の神 | みかん・柑橘の祖神 |
菓子業守護 |
祖先神 | 天日槍命(あめのひぼこのみこと) |
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出典:田道間守「前賢故実」
『日本書紀』によると、その昔、新羅の王子だったアメノヒボコ命は、日本に渡って来て但馬国に定住し、その土地の女性と結婚して子孫を残し、その一族がこの地で栄えました。後の子孫として生まれたのがタジマモリ命とされます。
垂仁天皇の時代に、タジマモリ命は天皇の命じられて、「非時香菓(トキジクノカクノコノミ)」(いつでも実をつけている香りのよい果物。橘ともいわれている)を探し求めるために常世の国へ旅立ちました。
無事に常世の国に渡り実を採取し、葉と実を連ねた枝を八本、葉を除き実だけを連ねた矛のような姿の枝を八本携えて帰ってきます。
しかし、10年余りの歳月が過ぎており、報告すべき天皇はすでに崩御していました。そこでタジマモリ命は持ち帰った木の実の半分を皇后である比婆須比売命に献上し、残りの半分は垂仁天皇の御陵の入り口に供えると、その場で悲しみのあまり泣きながら死んだそうです。
タジマモリ命がはるばる常世の国まで探し求めていった果実は、不老不死の妙薬としての木の実とされました。この話は海山幸神話や浦島伝説に通じる仙境訪問譚とされており、中国の神仙思想の影響を強く感じます。
この故事にちなみ、タジマモリは菓子や果物の祖神とされ、今日でも全国の菓子業者の信仰を集めています。『延喜式』にも記載されていますが、昔は諸国から朝廷への献上品の菓子すべてが、木の実や果物材料としたものだったそうです。
吉田神社(菓祖神社) | 京都府京都市左京区吉田神楽岡町30 |
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中嶋神社 | 兵庫県豊岡市三宅1 |
太宰府天満宮 | 福岡県太宰府市宰府4-7-1 |
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