出典:日本の神々辞典
古来清浄を尊び、穢れや不浄を嫌う性質があるとされる荒神。すべてを浄化する火の信仰と結びつき、一般的には火の神、竈(台所)の神として祀られています。
三宝荒神の像容は、三面六臂または八面六臂。頭髪を逆立てて眼を吊り上げ、暴悪を治罰せんと憤怒の表情を示し、密教の明王像に共通するものがあります。
竈の神 | 火の神 |
火伏せ | 徐災 | 福徳 |
竈神 | 清荒神 | 三方荒神 |
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出典:三宝荒神(wikipedia)
日本の神仏習合の土壌の中で生まれた神格で、古来の荒御魂をベースに、インドを発祥とする猛々しい夜叉神などの特徴を接合しています。まさに神道、密教、修験道などが混ざり合ってできた神さまです。
そのため、三宝荒神の由来は、古くから諸説あり一定しないようです。
『竈神祭考』では、三宝は仏・法・僧の三宝を守護し、荒神は本来が三毒の化身である貪欲神、障碍神、飢渇神で、一切衆生の福徳を奪い、一切の障碍をなし、貧窮や災難を与える猛烈な祟り神であるとされます。
常に家の竈に住んで荒神となり、その眷属もすべて悪鬼邪霊で人に祟り災厄をなす存在ですが、丁重に鎮め祀ることにより三毒が三宝になるとされます。
『修験道説』では、役行者が葛城山で修行中、三宝荒神に拝謁したとあり、その際、三宝荒神は役行者に「我は悪人を治罰する荒神であり、三宝に帰依する」と語ります。それにより三宝を護持する荒神として忌み祀るようになったとされます。
神道においては竈三柱大神として祀られ、三柱は竈の神様である奥津比古命と奥津比売命、火の神様である火産霊命とされます。
また、桓武天皇の兄の開城皇子が摂津勝尾で荒神の祟りを受けたが、祀り方を知らず難儀していた。そこに鳥が荒神供の経軌をくわえて飛んできて、王子の前に落とします。それによりこの信仰が本格的に始まったという説。
さらには『大荒神経』では、姿は天女と記され、または文殊菩薩、不動明王、歓喜天と同体とされるなど、さまざまな変化をした神が江戸時代以降、日本各地に祭祀されているという説もあります。
いずれにしても三宝荒神は日本の神仏習合時代に成立した神であるため、正統的な経典や神典は見えない。だからこそ神道家や仏家、修験道などが独自の教説を唱え、複雑化したともいえます。
生まれたての幼児の額に荒神墨を塗ったり、「あやつこ」と書いておけば悪魔を祓えるという風習があります。
あやつことは、子供の「お宮参り」の時に、鍋墨(なべずみ)や紅などで、額に「×」、「犬」と書くこと。イヌの子は良く育つということに由来するとされ、魔よけの印にもなるそうです。
昔の庶民は「すみ」、それも「なべずみ」で書くのが決まりでした。この「なべずみ」を額に付けることは、家の神としての荒神(こうじん)の庇護を受けていることの印となったからです。
「あやつこ(綾子)」を付けたものは、神の保護を受けたものであることを明示し、それに触れることを禁じるという意味がありました。
のちには子供の事故防止のおまじないとして生活に溶け込んでいきます。
三宝荒神は不浄や災難を除く火と竈の神です。神棚は家の中で最も清浄な場所である台所に祀りましょう。
お札は東向き、か南向きに祀るのが良いのですが、間取りによって難しい場合はあればどこでも大丈夫ですが、北向きだけは避けたほうが良いようです。
また、台所以外であれば仏壇ではなく、神棚に祀りましょう。正月・5月・9月・12月に松の枝(荒神松)を献じます。
礼拝の作法については諸説ありますが、清荒神清澄寺では、一礼、三拍手、一礼で礼拝し般若心経と荒神御真言を七反唱える作法が紹介されています。
三寶荒神社 | 山形県鶴岡市みどり町16-15 |
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浅草寺・三宝荒神社(宝光山大行院) | 東京都台東区浅草2-3 |
品川千躰荒神王「海雲寺」 | 東京都品川区南品川3-5-21 |
清荒神清澄寺 | 兵庫県宝塚市米谷清シ1 |
光三寶荒神社 | 和歌山県橋本市神野々840-1 |
笠山荒神社((笠山坐神社) | 奈良県桜井市笠2415 |
立里荒神社 | 奈良県吉野郡野迫川村池津川347 |
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