出典:鵜葺草葺不合命(Art Mochida Daisuke)
ウガヤフキアエズは、海幸彦・山幸彦に登場する山幸彦(ヒコホホデミ命)と、海神の娘(トヨタマヒメ)から生まれた御子神です。のちに大和王朝を建国するカムヤマトイワレビコ命(神武天皇)の父となります。
古事記 |
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天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命 |
日本書紀 |
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊 |
別称 |
日子波瀲武鸕鶿草葺不合尊 |
農業神 |
豊作 | 農業守護 | 夫婦和合 |
子宝安産 | 開運 | 延命長寿 |
スポーツ上達 |
父神 | 火遠理命(ホオリノミコト※山幸彦) |
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母神 | 豊玉姫(トヨタマヒメ) |
子神 |
彦五瀬命(ヒコイツセノミコト) |
出典:鵜葺草葺不合命「音川安親編」
ウガヤフキアエズ命はホオリノミコト(山幸彦)と、トヨタマヒメ(海神の娘)から生まれた御子神です。
母のトヨタマヒメ命は、出産の時に大鰐(サメのこと)の姿に戻ったところを夫のヒコホホデミ命に見られます。それに恥じて海宮に帰ってしまいますが、我が子を心配して妹のタマヨリヒメを養育係として遣わします。
タマヨリヒメ命に育てられたウガヤフキアエズは立派に成長し、その後、養育係で母親の妹でもあるタマヨリヒメと結婚。ヒコイツセノミコト、イナイノミコト、ニケイリノノミコト、ヒコホホデミの四人の御子に恵まれます。
この内のヒコホホデミは後の初代天皇となります。
「うがやふきあえず」という名前の由来は、生まれた産屋が関係します。
『日本書紀』によると、海宮(わたつのみや)で懐妊したトヨタマヒメ命が、天津神の御子は海原で産むことはできないと海辺に上がり出産の準備をはじめます。
産屋のすべてを鵜(う)の羽を草(かや)として利用しますが、屋根の頂上部分をふき合わせないうちに生まれ、草(かや)につつまれ波瀲(なぎさ)にすてられた。とあり、この状況からトヨタマヒメが名付けたとされます。
ちなみに、一般的にウガヤフキアエズと言われますが、本居宣長の記した古事記傳で、それまで書き込まれていた読み仮名を省略してしまったことから誤った読みが定着したようです。「ウガヤフキアエズ」ノミコトではなく、正しくは「ウガヤフキアエズノミコト」とされます。
出典:鵜葺草葺不合命「日本の神々辞典」
大和王朝の建国の祖、初代天皇神武の父であるウガヤフキアエズは、ヤマサチヒコの山の霊力と、タマヨリヒメの海の霊力が合わさったところに特徴があります。
皇室の祖神とされる神々は、いずれも穀物に関する名前(火=穂)をもつのに対し、この神様だけが異質な点も謎の一つにもなっています。
その点に関しては、皇室の支配力の大きさを象徴するために、山と海の霊力が合わさったこの神様が考えられ、新たに皇祖神の系譜に加えられたという説もあります。
吾平山上陵(鹿児島県鹿屋市)
埋葬地は日本書紀に「日向の吾平山上陵」と記載されますが、その伝承の地は南九州各地にあります。明治7年に明治政府は肝属郡吾平町(現 鹿児島県鹿屋市)の姶良川に開いた岩窟「鵜戸窟」内の2つの塚を吾平山上陵に治定しました。他日向三代の神陵も鹿児島県内に治定されています。
しかし日南市・鵜戸山をはじめ高千穂や佐土原町、西都市などにも伝説地があることで反論があり、国学者や宮内庁の調査によって、明治29年に日南市の鵜戸神宮背後の速日峯山上が「御陵墓伝説地 吾平山上陵」の参考地としています。
他に宮崎県西臼杵郡高千穂町とする説もあります。
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