出典:玉祖命(Art Mochida Daisuke)
『古事記』に登場する天津神。三種の神器の1つ「八尺瓊勾玉」を作った玉造部の祖神。天孫(ニニギ尊)と共に五伴緒の一柱として降臨し、周防国(山口県)に定住したとされる。周防国一宮「玉祖神社」の祭神。また、出雲国の玉作りの祖神ともされる。
古事記 |
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玉祖命(たまのおやのみこと) |
別称 |
玉屋命(たまのやのみこと) |
玉造りの神 | 宝石の神 | 眼鏡の神 |
美術の神 | 装飾の神 |
宝石業守護 | 眼鏡業守護 | カメラ・レンズ業守護 |
細工技術向上 | 商売繁盛 | 開運招福 |
金運向上 |
父神 | 天背男命 |
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子神 |
大多麻流命 |
『古事記』天岩戸神話では、スサノオ尊の蛮行によって天照大神は岩戸に隠れてしまいます。これにより高天原も葦原中国も闇に包まれました。
困った神々は相談し、知恵の神オモイカネ神は岩戸から天照大神を出すための作戦を考えます。
必要な祭具を集めるために、鍛冶師の天津麻羅に矛を、伊斯許理度売命に八咫鏡を、そして玉祖命に八尺瓊勾玉の五百筒之御統之珠を作るよう命じます。
勾玉は古代においては鏡と同様に神の依代と考えられており、主に祭具として用いられていました。また、勾玉は王の印という意味であり、捧げられたアマテラス大神は王であるということでしょう。
結果、神々が協力して天照大神を岩戸から出すことに成功。スサノオは高天原から追放されます。
『日本書紀』の岩戸隠れので、八尺瓊勾玉を作ったのは玉造部の遠祖「豊玉神」と、「天明玉命」とされますが、どちらも玉造部の祖としていることから玉祖命と同神と考えられます。
その後八尺瓊勾玉は、八咫鏡、草薙剣と合わせ、地上の統治権を象徴する三種の神器の1つとなります。
八尺瓊勾玉はその後、アマテラス大神からニニギ尊に八咫の鏡と一緒に授けられ、作った玉祖命も「五伴緒」の一柱としてニニギ尊と地上に降ります。
玉祖命を祀る山口県防府市の「玉祖神社」の社伝によると、高天原からニニギ尊に随伴して日向に降りた玉祖命は、のちに周防国(山口県)にやってきてこの地に定着します。
中国地方一帯を統治した後、周防の地でお隠れになったため、社殿を造営して祀ったのが玉祖神社の始まりとされます。近くには玉祖命の墳墓と伝えられる「玉の石屋」もあります。
平安時代には周防国一宮で崇敬を受け、室町戦国時代前期の天下人からも篤く崇敬されました。信奉する1人には大名・大内義興がおり、亡命した前将軍を助けて上洛し10数年ぶりに将軍職に再任します。
『古語拾遺(こごしゅうい)』には、「櫛明玉神(※タマノオヤ命の別称)は出雲国の玉作りの祖神である」と記されています。
玉造の地名が残る島根県八束郡玉湯町は、古代出雲の玉造部の居住地でした。曲玉の材料であるメノウ、碧玉、水晶の産地でもある花仙山の麓には玉造遺跡もあり、各種の玉類や砥石などが数多く出土しています。
その近くにある玉作湯神社は『出雲風土記』や『延喜式』などにも載っている古社です。
伝承では、スサノオ尊がアマテラス大神に献上した八尺瓊勾玉は、そもそもクシアカルタマ命がスサノオ尊に送ったものとされます。また、玉造遺跡の近くには、クシアカルタマ神の墓と伝えられる玉造築山古墳などもあります。
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