
黄泉国(死者の国)で腐敗した伊耶那美の体から生まれた八雷神の一柱。イザナミの胸から成ったとされる。伊耶那岐がその変わり果てたイザナミの姿を見て逃げ去った際に、追手として予母都志許売に次に追わせましたが、イザナギが投げた桃の実によって退散させられます。
| 名称 |
|---|
| 火雷大神(ほのいかづちのおおかみ) |
| 別称 |
|
火雷神(ほのいかづちのかみ) |
| 雷神 | 水の神 | 雨乞いの神 |
| 稲作の神 |
| 落雷除け | 火防 | 雨乞い |
| 農業守護 |
| 産み神 | 伊邪那美 |
|---|

出典:黄泉津大神「Art Mochida Daisuke」
| 頭 |
大雷神(おほいかづちのかみ) |
|---|---|
| 胸 |
火雷神(ほのいかづちのかみ) |
| 腹 |
黒雷神(くろいかづちのかみ) |
| 陰部 |
裂雷神(さくいかづちのかみ) |
| 左手 |
若雷神(わかいかづちのかみ) |
| 右手 |
土雷神(つちいかづちのかみ) |
| 左足 |
鳴雷神(なるいかづちのかみ) |
| 左足 |
伏雷神(ふすいかづちのかみ) |
『古事記』にはイザナミが黄泉国の食物を食べてしまったことで、黄泉の国の女王となったイザナミ神の身体から生じた八雷神とされる。
これらの神々は雷の強烈な威力、落雷が起こす火、天地をにわかに暗く(黒く)する力、落雷が物を裂く威力、地上に若々しい活力をもたらす力、落雷が土中に帰る姿、雷鳴(神鳴り)をとどろかす力、雲間に潜伏して雷光を走らせる力など、雷の起こす様々な現象から連想されています。
火雷は八雷神の中でも「火」に特化した神であり、雷は落ちることで火事となります。日本家屋は木で建てられているため、雷はまさしく畏怖の対象とされました。
神話や伝承に描かれる雷神は、竜蛇神として姿を現すことが多く、雨や水を司る神としての神格を持つとされますが、火雷を含む八雷神が実際にどのような姿や神格をもつのか定かではありません。
その実体については雷そのものではなく、悪霊や魔物、鬼の類であるとする説もあります。
火雷神は文字通り「雷神」です。
雷の恐怖は、落雷によって毎年犠牲者がでていることで理解できます。科学的に理解されていない古代の人々にとっては、現代の私達以上にはるかに恐れられていたでしょう。
また雷は大量の雨を降らせて地上を潤し、農作物を育む恩恵を持ち合わせます。火雷神はこういった脅威と恩恵を併せ持つ性格の神とされます。
農耕が発達すると、雷は驚異と同時に水不足の時期に雨をもたらすありがたい神の恩恵と感じられるようになりました。人々は単にその猛威を避けるという願いだけでなく、作物の成育を助ける神として「神が鳴る」エネルギーを崇め祀るようになったそうです。
民間信仰の雷神は鳴神(なるかみ)雷電(らいでん)様とも呼ばれ、特に落雷が多発する地域でよく祀られているそうです。落雷から身を守ってくれる神であると同時に、稲作の守護神として信仰されています。
火雷神は火雷天神と呼ばれることがあります。菅原道真公が死後に祟り神として恐れられ、その怒りを鎮めるために祀られたのは有名ですが、祀られる北野天満宮が建てられた土地には地主神として火雷神が祀られていました。
そのためこの地に伝わっていた土着の雷神が源流であるとする説があり、神話に描かれる火雷神とは異なるとの見方もあります。そのため神名を火雷天神や火雷神と呼ぶことで区別することがありました。
火雷神は空から降る雷で天神と同一視されていましたが、菅原道真公と習合された後、公の使いの雷神として信仰されるようになります。雷や雨といった天候を指す「天神」という言葉そのものも、時代が経つにつれ道真公を指すようになったとされます。
| 火雷神社 | 群馬県佐波郡玉村町大字下之宮甲524 |
|---|---|
| 雷神社 | 神奈川県横須賀市追浜本町1-9 |
| 向日神社 | 京都府向日市向日町北山65 |
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愛宕神社 |
京都府京都市右京区嵯峨愛宕町1 |
| 角宮神社 | 京都府長岡京市井ノ内南内畑35 |
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葛木坐火雷神社 |
奈良県葛城市笛吹448 |
| 雲気神社 | 香川県善通寺市弘田町1105 |
| 阿沼美神社 | 愛媛県松山市味酒町3-1-1 |
『延喜式』神名帳には、宮中の「大膳職に坐す神三座」に「火雷神二座」が見え、山城国、大和国、上野国にも「火雷」を称した神社があります。
その神格は、『続日本紀』に山背国乙訓郡に在る火雷神は、祈雨、河川、膳といった農業にまつわる水神として祭られた神とされ、『古事記』の火雷との関係は明らかではありません。