出典:邇藝速日命(Art Mochida Daisuke)
天つ神の御子。天孫ニニギ尊より先に天降りしていた伝承をもつ神さまです。祭祀を司どる物部氏の祖神であり、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることから重要な神とされます。「日本」の名付け親ともされ、大和国(近畿地方)に稲作文化を伝えたとされます。
古事記 |
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邇藝速日命(ニギハヤヒノミコト) |
日本書紀 |
饒速日命(ニギハヤヒノミコト) |
先代旧事本紀 |
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアマノホノアカリクシタマニギハヤヒノミコト) |
別名 |
天照御魂神 |
呪具の神 | 穀霊神 | 太陽神 |
飛行機の神 | 空の神 |
諸願成就 | 病気治療 | 皮膚病・腫れ物の守護 |
交通安全 | 勝運上昇 | 航空安全 |
父神 | 天忍穂耳尊(または荒木臣命) |
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母神 | 栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメノミコトメ) |
妻神 | 登美夜毘売(トミヤビメ) |
子神 |
天香具山命(アメノカグヤマノミコト) |
ニギハヤヒ命は神武東征に先立って、天照大神から天羽羽矢(あめははや)と歩靫(かちゆき)、そして十種の神宝を授かり、天磐船(アメノイワフネ)に乗って天降ります。
当時、大和地方支配していた長髄彦(ナガスネヒコ)のもとに身を寄せ、その妹の(トミヤヒメ)と結婚し息子の宇摩志麻遅命(ウマシマジ)をもうけ、一族の主君として君臨していたとされます。
後の神武東征神話で神武天皇とナガスネヒコが対峙した際、ナガスネヒコが「私は天磐船で天より降りたニギハヤヒ命に仕えている。天神の子が二人いるのはおかしい。あなたは偽物でしょう」と聞きます。
すると神武天皇は天つ神の子の証である天羽羽矢と歩靫を見せます。ナガスネヒコは内心では本物と認めたものの、頑固に服従しようとしませんでした。
ニギハヤヒ命はナガスネヒコを諌めたが、性格がひねくれたため殺します。そして大和の支配地を神武天皇に献上したとされます。これによって最大の難敵を討伐し、大和国は天皇が統治するところになります。
ただし、『先代旧事本紀』では、既にニギハヤヒ命は現地で亡くなっており、亡骸(なきがら)は速飄(はやちかぜ)により天に上げられ、葬儀は七日七夜続いたとあります。
ニギハヤヒ命が天つ神から授かった職能は、古代の呪術祭祀を司る役目でした。「先代旧事本紀」にそれを象徴する十種神宝(とつかのかんだから)の話が記されています。
それによると、大和に天降る際にアマテラス大神から十種の神宝(天璽瑞宝十種)を授かりました。アマテラス大神は「もし痛むところがあれば、この十種を一二三四五六七八九十といって打ち振ればよい。そうすれば使者も蘇るであろう」と伝えます。
出典:十種の神宝「人文研究見聞録」
その十種とは、『瀛津鏡・辺都鏡・八握の剣・生玉・死返玉・足玉・地返玉・蛇比礼・蜂比礼・品物比礼』で大別すると「剣」と「鏡」と「玉」という三種の神器の構成に比礼が加えられた形となっています。いずれも古代において重要な呪具として用いられたもの。
十種の神宝が死者を生き返らせるというのは神話的な比喩ですが、それくらい霊妙な呪具であるというのは間違いありません。おそらく宮廷祭祀で天皇の健康長寿、国土平安を願う鎮魂祭に用いられる呪具の原型が十種の神宝なのでしょう。
神武天皇が大和で即位したのち、この十種の神宝を物部氏の祖神とされる息子のウマシマジ命が神武天皇に献上し、神宝の呪力によって天皇の健康長寿を祈ったとされる。こうした呪術祭祀の形態が、のちに宮廷で行われるようになった鎮魂祭の起源とされます。
十種の神宝を管理していたのはニギハヤヒ命を祖神とする物部氏。物部氏は大和政権の軍事方面において、軍事を掌握して各地の反抗勢力鎮め、功績を上げた古代の有力氏族です。同時に宮廷の鎮魂祭・大嘗祭などの祭祀を管理する司祭的な職掌も握っていました。
そういった職能を背景に、氏族の守護神、強力な呪力を秘めた神宝を司る神としてイメージされたのがニギハヤヒ命なのです。強力な呪具を支配するニギハヤヒ命は、邪霊を祓う神として御子神であるウマシマジ命と一緒に祀られています。
『石切劔箭神社』の社史によると、天照大神から大和建国のため『十種の瑞宝』を授かったニギハヤヒは船団を組み、自らも「布都御魂劔」と日の御子の証である「天羽々矢」を携え天磐船に乗り込み、物部八十の大船団を率いて高天原を出航します。
瀬戸内海を渡りニギハヤヒは河内・大和へ向かいます。天磐船が鳥見の里を見渡す哮ヶ峯(生駒山)に着くと、辺りを見渡し「虚空(そら)にみつ日本(やまと)国)」と賛じます。これが日本の国号の始まりとなったとされます。
河内と大和の一帯は鳥見の里と呼ばれ、海や山の幸に恵まれた自然豊な土地でした。
この地方を治めていた豪族、鳥見一族は狩や漁がうまく、生活用具や住居づくりに優れ、長身の恵まれた体格は戦闘に秀で「長髄の者」と恐れられていました。
一族の長である長髄彦は、ニギハヤヒの徳の高さに打たれ、尊のもたらした稲作や織物、製鉄の道具・武具に文化の差を知り、一族こぞってニギハヤヒに従います。
鳥見の里を治めるようになったニギハヤヒは、稲作に適したこの土地に水田を拓き、大きな実りをもらしました。これが近畿地方の稲作文化の初めとなったとされます。
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