出典:建御名方神(Art Mochida Daisuke)
信濃国の諏訪地方(長野県)の有力な神さまです。神話国譲りで、天つ神最強とされる武の神タケミカヅチに果敢に挑んだ国つ神の軍神。日本三軍神であり、武田信玄をはじめとする戦国武将にも崇敬されました。諏訪大社を本拠地とした「お諏訪さま」として全国各地に広がる神さまです。
古事記・先代旧事本紀 | 建御名方神(タケミナカタノカミ) |
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別称 |
建御名方富命 |
狩猟神 | 農耕神 | 軍神 |
五穀豊穣の神 | 風の神 |
勝利祈願 | 狩猟守護 | 子授かり |
子孫繁栄 | 交通安全 | 延命長寿 |
スポーツ上達 | 武運長久 | 開運招福 |
五穀豊穣 | 国土安穏 | 盛業繁栄 |
商売繁盛 |
父神 | 大国主(オオクニヌシ) |
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母神 | 沼河比売(ヌナカワヒメ) |
妻神 | 八坂刀売神(ヤサカトメノカミ) |
御子神 | 建御名方彦神別命・出早雄命・意岐萩命・妻科比売命・守達神・池生神・須波若彦命・片倉辺神・蓼科神・八杵命・内県神・外県神・大県神・恵奈武耳命・高杜神・妻岐萩命・都麻耶美豆比売命・奥津石建神・多都若比売神・垂比売神・竟富角神・大橡神 |
※諏訪大社「上社」前宮境内にある若御子社に祀られている22柱の御子神より
出典:千引石を持ち上げるタケミナカタ「萩野由之」
『古事記』のタケミナカタ神はオオクニヌシ神の息子として描かれます。
神話「国譲り」ではアマテラス大神の「地上の国の統治権を譲りなさい」という要求に対して、オオクニヌシ神の子どもたちの中で最後まで頑固に抵抗します。
タケミナカタ神は千人がかりで動かす大岩を軽々と持ち上げる程の剛力の持ち主で、高天原の使者武甕槌命(タケミカズチノミコト)に対し力比べを挑みます。
しかし、タケミカヅチ命の手を掴もうとすると手が氷柱になり、次にそれが剣に変わります。それにひるんだタケミナカタ神は、こんどは逆にタケミカヅチ命にやわな若い葦でもつかむように腕をつかまれ、軽々と投げ飛ばされてしまいます。
敗れたタケミナカタ神は出雲国から逃げ出し、信濃国(長野県)の州羽(諏訪)の諏訪湖に逃れましたが、タケミカズチ命は追いかけてきました。
そこで、父や兄の命に背かぬこと、この州羽の地から外に出ないで暮らすことを誓い国譲りに同意します。それ以来諏訪湖のほとりに隠棲したとされています。
このように少し頼りなく描かれるタケミナカタですが、これは大和朝廷と地方勢力の政治的な対立を反映した服従神話とみられており、有力氏族の中臣氏(のちの藤原氏)の祖神のタケミカヅチ命の活躍を印象づけるための創作という説があるようです。
また、タケミナカタ神は『日本書紀』における国譲り神話、『出雲風土記』などに記される出雲国伝承に一切登場せず、『古事記』でもオオクニヌシ神の子神でありながら、その系譜に名前が見られません。
こういった理由から近代ではタケミナカタ神は国譲り神話に挿入されたという説が主流となっているようです。
出典:女神転生(ATLAS)
人気ゲーム「女神転生」で描かれるタケミナカタには腕がありません。これはおそらく『古事記』にてタケミダヅチに両腕を引き千切られた後の描写に思われます。
『諏訪大明神絵詞』には、タケミナカタは藤の枝を持ち洩矢神を打ち倒し配下にしたと記されます。両腕を失ったタケミナカタはどのようにした藤の枝を振るったのかという疑問がありますが、これはタケミナカタが諏訪に入る際の話なので腕があってもおかしくありません。
事実、他で描かれるタケミナカタには腕がしっかりあることから、腕のないタケミナカタは脚色された『古事記』から作られたイメージなのでしょう。
出典:狩装束をまとった諏訪明神「宮地直」
諏訪社の古い伝承や祭事について詳しく記述されている縁起譚である『諏訪大明神絵詞』には、タケミナカタ神がこの地に来て、先住の神である守矢神や諏訪湖の龍神などの神々を服従させ鎮座したとあります。
タケミナカタは狩猟に使用される弓矢などの武器に宿る精霊とされ、武威にすぐれた神(軍神)として信仰が始まります。
諏訪社の伝承で英雄神の姿で伝えられるこの神は、古くからは狩猟神として信仰されてきました。その遺風は鹿の頭を神に捧げる諏訪大社上社の「御頭祭」に今も残ります。
諏方神は古来から風の神とされ、諏訪大社には風の平穏を祈る専門職として「風祝」と呼ばれる人々もいたそうです。
狩猟を守り、水源の神や風の神として農業を見守ることから、タケミナカタは諏訪の人々の生活に深く関係した神さまです。
出典:建御名方神「Art Mochida Daisuke」
古来から、諏訪神社の御神体は蛇とされ、神の使いも同じく蛇だと言われます。
諏訪大社の最古の縁起絵巻『諏方大明神画詞』には、諏訪明神やその仲間が龍や蛇の姿になる話がいくつかあります。
長野県や群馬県などの地域には、諏訪の神様が巨大な蛇や龍として出てくる民話や、『太平記』では蒙古襲来の際に「諏訪の湖の上より、五色の雲西に聳たなびき、大蛇の形に見へたり」と記されます。
神々が旧暦10月に出雲に集まる「神在月」がありますが、諏訪明神も龍(蛇)の姿で現れます。その大きさは頭が出雲にあるのに、尾が諏訪湖にあるほど巨大でした。これに他の神々が気を遣い「諏訪明神は、出雲にわざわざ出向かずとも良い」と言い、それ以来出雲に行かなくなったとされます。
諏訪神社の龍蛇信仰が広まったのは、『神道集』という書物に書かれた「諏訪縁起(甲賀三郎伝説)」によるものが大きいとされますが、もともと持統天皇の時代から諏訪神社は「蛇を象徴する水神」として政府から認識されていました。
中世まで、諏訪上社の冬祭りでは、御室と呼ばれる竪穴住居のような土室が作られ、その中には藁や茅、ハンノキの枝で作られた蛇の形をした御神体が置かれ、翌春まで神官がそこで神事を行ったそうです。
一説に、この蛇の御神体は、「祖宗神」という名で、諏訪明神を神氏の祖霊として表しているとされる。また、諏訪大社(上社)の裏山にあるフネ古墳で発見された蛇行剣や鹿角製品は、龍蛇信仰に関係するものとみられます。
このような諏訪各地にある龍蛇信仰の痕跡から、諏訪神(タケミナカタ)は龍神や蛇神と見られています。
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タケミナカタ神の武勇、軍神としての名声は平安時代にはすでに広まっていました。延暦2年(783年)2月、坂上田村麻呂が奥州征討に向かう途中、諏訪大社に参拝し戦勝を祈願して戦場に向かいます。すると、諏訪の神の化身の兵が参陣し敵を打ち破ったとされます。
さらに、その信仰が一層高まったのは鎌倉時代には、元寇のとき龍神として示現し大いに神威を発揮したと伝わります。鎌倉幕府を中心とする武家社会で、タケミナカタ神がいかに軍神として信仰されていたかがうかがえます。
諏訪大社下社の山宮「御射山社」がある霧ヶ峰高原の八島湿原では、鎌倉時代にタケミナカタ神に奉納する武術競技大会が行われていたそうです。
武神としての姿は神威を高め、信仰を広めることに大いに役立ちましたが、それはあくまでタケミナカタの一面であり、建御名方神(諏訪神)を支えてきたのは農民を中心とする庶民の信仰です。
諏訪大社 |
上社本宮:長野県諏訪市中洲宮山1 |
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秋保神社 | 宮城県仙台市太白区秋保町長袋字清水久保北22 |
諏訪神社 | 東京都江戸川区平井6-17-36 |
新宿諏訪神社 | 東京都新宿区高田馬場1-12-6 |
居多神社 | 新潟県上越市五智6-1-11 |
諏訪神社 | 三重県四日市市諏訪栄町22-38 |
大倭物代主神社 | 兵庫県宍粟市山崎町下牧谷宮ノ谷299 |
諏訪神社 | 京都府相楽郡南山城村大字田山小字堂山1 |
建御名方神社 | 島根県仁多郡奥出雲町鴨倉下鴨倉565 |
諏訪神社 | 徳島県徳島市南佐古三番町21 |
諏訪神社 | 長崎県長崎市上西山町18-15 |
諏訪神社 | 鹿児島県肝属郡南大隅町根占川南5076 |
その他全国の諏訪(諏方・周方・州波)神社
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