事代主神(Art Mochida Daisuke)
『古事記』において大国主神と神屋楯比売命との間に生まれた神さま。出雲の国譲り神話では大国主に国譲りの可否を委ねられる。海上安全の神、漁業の神、商業の神、市場の神として多くの神社に祀られています。
名称 |
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事代主神(ことしろぬしのかみ) |
別称 |
八重事代主神((やえことしろぬしのかみ)) |
託宣神 | 海の神 | 福の神 |
海上安全 | 豊漁 | 五穀豊穣 |
商売繁盛 | 福徳円満 | 開運 |
厄除け | 病気平癒 |
父神 | オオクニヌシ命 |
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出典:事代主神「Art Mochida Daisuke」
神名の「コト」は、神の言葉の『言』で、「シロ」は『代理』を意味します。つまり、コトシロヌシ命は神の託宣を代行する憑坐(よりまし。神霊が憑依する霊能者)を意味し、本来の性格が託宣神と考えられています。
神功皇后伝説では、皇后に神懸りし、新羅遠征の神託を下したり、壬申の乱のときには大海人皇子(天武天皇)軍の長官に神懸りして託宣したという伝承もあります。
また、コトシロヌシ命は「事を知る」という意味にも解釈され、もともと固有名詞ではなく、一種の役職名だったという説もあります。古代における託宣を発する呪術の専門家として、霊能を発揮した神主や巫女に対する称号のようなものとも考えられます。
出典:事代主神「日本の神々辞典」
コトシロヌシ命はオオクニヌシ命の長子で、国譲り神話のときに父神に命じられて神の神意をうかがい、その託宣によって支配権の譲渡を決定します。
高天原からの使者の建御雷神らが大国主神に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主神が答えると言います。
そこでタケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主神は「承知した」と答えます。その後、弟のタケミナカタ神も抵抗するものの最後には服従し、大国主神は国譲りを承諾。「事代主神が先頭に立てば私の180人の子供たちも従って天津神に背かないだろう」と言います。
コトシロヌシは国譲りの返事をした後、「天の逆手」という呪い(まじない)をしながら、自分の乗っていた船を踏み傾けて海中の青柴垣(あおふしがき)に変貌させて、そのなかに隠れ去ったとされます。
この天の逆手とい呪術について本居宣長は『古事記伝』に、左右の手のひらを外側に向けて逆さまに打ち合わせるという呪いの方法であると記述しており、どちらかといえば凶事に関する呪術と考えられています。
海中に姿を消す行動については、古代の水葬儀礼の反映、あるいは海の彼方の常世の国に帰ったという解釈があります。いずれにしても不明ですが、昔から漁民の間にあったエビス信仰とコトシロヌシ命の関わりを考える上で興味深いものとされます。
島根半島の東端にある美保神社では、毎年4月7日に青柴垣神事が行われます。これは国譲り神話のコトシロヌシ命の故事にちなんだものとされます。
神事では、赤、黒、白、黄などの色とりどりの幟(のぼり)を立て、天幕を張った四隅の柱に青柴垣を飾り付けた二艘の神船が社前の海に浮かべられます。
船にはそれぞれ1人づつ、物忌みをし精進潔斎(しょうじんけっさい)した氏子の頭人が乗り、沖合から浜辺までを行き来します。そののち頭人が神前に進み出て参拝するというものです。
本来、海から神霊を迎えてその意思をうかがうという神事だったそうです。
コトシロヌシ命をエビス神として祀る神社も多いのですが、両者を結びつけているのは、海の彼方の常世からやってくるおいうマレビト(来訪神・寄神)の観念であり、基本的な性格が海の神、漁業の神という共通性です。
事代主が鶏を嫌うという言い伝えが「事代主の妻訪い(妻問い)」の物語に描かれます。
それによると「事代主は、夜毎海を渡って対岸の里に住む美保津姫のもとへ通っていました。鶏が間違って真夜中に鳴いたため、事代主は慌てて小船に乗りますが、櫂を岸に置き忘れて仕方なく手でかいたところ、鰐(※サメ説あり)に手を噛まれます。
以来、事代主は鶏を憎むようになり、それにあやかり美保関では鶏を飼わず、参詣人にも卵を食べることを戒める」としています。
今でも、事代主を再現した美保関の青柴垣神事の際に当屋に指名された者は、1年間鶏肉を食べないで身を清める習わしがあるそうです。
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